ハーバード留学/研究員記録

純国産(純ドメ)の日本男児。 総合商社でアメリカ、中国の投資の仕事をしてきた後、 ビジネスと政治経済の融合を目指してハーバード大学ケネディスクール(Harvard Kennedy School)に留学。 修士課程を卒業した後、現在は同大学の研究員として中国にて現地調査中。 アメリカや中国で感じることについて書いていきます。

リアル・チャイナとジオポリティクス(8)

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ご紹介した体験談や、筆者の中国ビジネス経験を通じて、ブログをご覧の方々にお伝えしたい「中国との付き合い方」の重要なエッセンスは、「本当の本音を人前で聞くことが極めて困難」という中国人の行動特性と考えている。


中国の気遣い文化、あまり日本では認知されていないかも知れないし、むしろ正反対の国民性として理解されているかも知れないが、中国人の、特に教養人の相手のメンツへの気遣いは実はもの凄い。中国語では「客気(クーチー)」と呼んでいるが、例えば「ハーバードの最強語学プログラム」でご紹介したハーバードの中国語のテキストにも、かなりのページ数を割いて、「客気文化」についてアメリカ人学生に説明をしている。

例えば卑近な例では、「映画に行きませんか?」と誘われた場合は、教養のある中国人ならば礼儀正しく、婉曲的に「ちょっと考えて、予定を確認してからお答えします(考虑考虑再说吧!)」と答えるとテキストに書いてある。「行けません」あるいは「行きません」と言えば、相手に対して失礼になるからだと。

アメリカ人学生よ、これを額面通り受け取って、本当に数日後「で、行くの?行かないの?」と聞いてはいけないと注意喚起がなされており(笑)、既に「あとで答えます」と言われた時点で、本当は断られていることが含意されていると注釈がなされている。


注:この行間の読める繊細なアメリカ人も、もちろん存在する。一応念のため。


客気文化が、共産主義トップダウン型組織原理と合わさった結果、最近の話題に乗せて表現すると「半沢直樹」の世界が広がっている。エピソードの中でご紹介した通り、上司の見解には表面上絶対服従、斬新な意見は多くの場合求められないだろう。

別の言い方では、「臥薪嘗胆」と「面従腹背」の世界、権力者に対しては表面上服従の意思を示しながら、ヒタヒタと復讐の機会、下克上の機会を狙い続け、いずれその思いを果たす。

大部分の上昇意欲のある優秀な中国人は、ある種「究極の組織人」と感じている。日本の伝統的大組織の人間がそうするように、国家(会社)の方針に基づき、上司の考えを最大限尊重し、その枠の中で気の効いたことをコメントすることで評価を高めていく。

尖閣問題」や「日本との関係」というテーマも、自分が優秀でバランス感覚のある伝統的中国式リーダーであることを示す題材であり、当然上司である中国政府が「強硬姿勢」に傾けば彼らのバランス感覚も「強硬派」に傾き、政府が「協調姿勢」になれば「協調派」になんとなく振り子が戻るというイメージである。あるいは、どっちが優勢か見極めがつかない時には、黙して語らず意見を留保する、こういった行動特性を感じている。まさに優秀で将来有望であればあるほど、リスクを取って公然と本音を語らない。



一方で、客気文化なので、筆者が参加していない中国人同士の会では言いたい放題だったとしても、当事者である筆者が参加した懇親会では、アメリカ人女性の発言に便乗する中国人は一人もいなかった。彼らにとって、面と向かってそこまで言うことは「失礼」であり、筆者の「メンツ」を潰すという気遣いの感覚があったと感じている。(例のアメリカ人女性も中国通ならば、少し見習ってほしい、、、笑



一方で、個々人は当然「本音」を持っている。政府高官の前では沈黙して語らず、散会した後に筆者のところに駆け寄ってきた中国人とは、その後本音の議論ができたし、今でも筆者の中国での活動を強力にサポートして貰っている。彼らは声高に主張しないが本音ベースで、日本との友好を望んでいる。またそういった中国人は、マジョリティとまで言わないが、特に国際感覚のある教養人についてはそこそこな割合存在していると感じている。

逆にニコニコと日本企業を誘致している担当官であっても、内心日本を嫌っている面従腹背の人もいるかも知れない。

「中国との付き合い方」において、最も重要で難しいポイントは、相手の本音を知ること、本当の心の友なのか、実は隙あれば陥れようとしている危険人物なのかを察知することではないかと感じている。

 

以下、「リアル・チャイナとジオポリティクス(9)」へ続く。

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リアル・チャイナとジオポリティクス(7)

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 「ナンキン初め、日本が中国で犯した多くの罪は、永久に忘れ去られることはないし、中国人は日本人を許すことはないでしょう」、、、言い切ったアメリカ人女性の言葉が響き渡る懇親会の会場。なんとも言えない険悪な空気が、参加者全員を包んだ。


筆者は咄嗟に反論の文案を思い付いた。「恐縮ながら申し上げますが、あなたのご意見はこの場や、私のプレゼンの趣旨から考えて適切ではないと思います。そういった過去の暗い歴史を超えていき、前向きな未来を語るのが申し上げたい趣旨であり、、、」

しかし喉元まで出かかって、この発言を止めることにした。きっと彼女は好戦的な最初の発言からも判断される通り、ディベート好きなのであろう。テーマから考えても1往復や2往復の意見の言い合いで、議論が簡単に収束するとは思えない。

また、いくら筆者が「戦争は悲惨です。多くの日本人もアメリカ軍の爆撃で死んでいます。私の家族もアメリカ軍に殺されていますが、それはどう思いますか?」などと問い掛けたところで、悪の枢軸日本が勝手に始めた戦争を、アメリカと中国が共同戦線で叩き潰したまでで、日本人死者は当然の報いという、善悪二元論に基づく「正義の聖戦理論」で押し切ってくるだろうことは容易に想像がついた。

そもそも今自分が語り掛けるべき対象は、この場にいる「中国人」であり、日本と中国の未来を語る場には、ナンキンのキーワードはあまりに重過ぎる。どう見ても状況からして、生産的な方向に持って行けるとは思えなかった。こうした逡巡を経て、筆者は断腸の思いで沈黙を貫くことにした。


重苦しい空気がしばらく漂う中、高官の方が「勉強になったプレゼンだったね。ではそろそろ別の話題に移ろうか」と切り出し、話題は筆者のプレゼンから、別の参加者の発表に移っていった。
「お疲れ様」と拍手される訳でもなく、「良いプレゼンだったよ」と褒められる訳でもなく、なんとも後味の悪い空気の中、針のムシロ状態で、出される中華料理を食べながら、他の参加者のソフトなテーマの発表を聞いていた。食べた気のしない食事とはこのことである。

例のアメリカ人女性は、あらゆるテーマについて「中国通」を強調し、自分がどれほど「中国好き」かを節度なくアピールしていたのには、正直閉口した。



1時間半ほどして会が終わり、皆が席を立って店の入口に向かって歩き始めた。「思いを遂げてプレゼンは果たしたが、ヤレヤレとんでもない場に来てしまった、、、」と、この場に来たことを後悔しながら、疲れ切った重い体を起こして席を立った。

ほとんどの参加者は筆者に目もくれず談笑しながら歩いていく中で、3、4人の中国人が筆者のところに近寄ってきた。まさかプレゼン内容に文句があって、わざわざ言いに来たのだろうか、と身構えてしまった。彼らが口にした言葉は忘れられない。


「とても良いプレゼンでした。中国に思い入れをもってくれること、とても嬉しく思います。あなたのプレゼンの通りです。歴史上、中国は日本から本当に多くのことを学んできましたし、これからも大いに学んでいかなければならないと思っています。似た文化を持つ両国が協力していく方法こそ、考えていくべきものであり、現在起きている対立は本当に残念です。」

他の中国人が続ける。「日本のこと、いろいろ教えて下さい。あなたが中国のことが知りたいときには、できる限りサポートします」 

正直、予想もしていなかった発言に、ただただ驚くと共に、とても嬉しい気持ちが湧いてきた。沈黙して発言しなかったとしても、プレゼンの趣旨を理解して、共感してくれる中国人がいたのである。しかし同時に、「なんでさっきアメリカ人が言いたい放題の時に、援護射撃してくれなかったんだよ、、、」という気持ちも湧いてきた。


この中国人3、4人と連絡先を交換しながら、談笑しながら店の入口を出ると、先に店を出ていた高官がこちらに近付いてきた。高官は、「〇〇(筆者のファーストネーム)、今日は寒い中来てくれて本当にありがとう。とても素晴らしいプレゼンだったと思う。みんなに聞いて欲しかったから急に話を振ったけど、うまく対応してくれてとても感謝している」と言いながら、筆者に握手を求めてきた。寒空のボストンで、固い握手を交わした。

高官の周囲を取り巻く中国人参加者たちは(そして筆者も)、その瞬間初めて筆者が「歓迎すべき客人」で、敢えてそれを最後まで明示しない状態で、各人が「難しいテーマ」に対して、どう発言するかをテストされている場であったことを痛感したことだろう。

 

以下、「リアル・チャイナとジオポリティクス(8)」へ続く。

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リアル・チャイナとジオポリティクス(6)

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筆者は淡々と孫文のプレゼンを進めていった。孫文がとても日本びいきであったこと、孫文には日本人の妻がいたこと、またそもそも中国の近代化において、政治、社会、経済、革命、共和国、民主主義や共産主義など日本から逆輸入された多くの漢字が使用され、それが今日の中国語に非常に多くの数が定着していること。

あるいは、孫文中華民国成立には日本の実業家、梅屋庄吉のサポートが不可欠であったことを孫文自身が告白していることなど、別の言い方をすれば、日本が中国の近代化に大きく貢献したことを説明し、日中関係が原点に戻り、未来志向の良好な関係を築くことが重要であると説明していった。


参加者の反応はプレゼン当初は総じて静かなものであったが、プレゼンが進むにつれて次第に熱を帯びてくる。途中でいくつか質問や意見表明を受けた。例えば、「孫文に日本人妻がいたなど聞いたことがないが、本当か?」や、「革命や共産主義が日本語から輸入されたものとは、にわかに考えにくい」といったコメント。

参加者は常に、彼らの実質的な上司であり権力者である高官の顔色を伺っている印象だ。筆者のプレゼンをネタに、どういった気の利いたコメントをして、それによって評価を受けるか、というところに留意しているように感じられた。

参加者の中には「愛国者」としてのテストだと理解した人もいたように思う。国父孫文が日本に助けられたという見方は、中国人による「自力での近代化」という歴史観を傷付ける可能性があり、人によっては自尊心を傷付けられる場合もあると思う。そういう解釈に立って、孫文が日本のサポートを必要とした、という筆者の見解に反対の姿勢を取るコメントの参加者も何人かいたように記憶している。

また、コメントをする上で、筆者のバックグラウンドが気になる参加者もおり、執拗に所属先機関や、父親や祖父の職業などを聞いてくる参加者もいた。この辺りは、コネ社会中国らしい着眼点であると感じた。筆者の先祖が軍人か政府の人間か、民間人で対処方法が変わるということだろう。



アメリカ式のディベート型リーダーシップというものがあるが、ここで展開されたものは、中国式のリーダーシップテストであったと感じた。彼らにとって、共産党の中で有望株として目を付けて貰うことが、立身出世のためのプロセスとして不可欠であろうし、高い評価となれば現在の職業とは別次元のポジションへの抜擢もあり得る世界である。故に参加者は、筆者のプレゼンを題材に、気の利いたコメントを発することに躍起になる。



しかし誰も触れなかったポイントがあった。それは「日中関係が原点に戻り、未来志向の良好な関係を築くことが重要である」とする筆者のメインの主張の部分である。先述の通り、時節柄、最もタッチ―な部分の方向性について、高官たちは全く方針を示していないため、敢えてこの部分に触れることは、どう意見を表明したとしてもリスクが高く、そういった計算の下に意見を表明することを敢えて避けている、と筆者は感じていた。


ここで思わぬ伏兵の攻撃を受けることになる。唯一のアメリカ人、自称中国通の女性が口を開いた。「あなたのプレゼンを聞いていて、他の中国人たちは言いづらいと思うから私から敢えて言わせて貰うけど、日本と中国は永久に仲良くはなれないと思うわ。」と彼女は英語で言った。

果たして、この女性が筆者の中国語のプレゼンを正確に聞き取れるだけの中国語リスニング能力があったのか、甚だ疑問であったが、参加して何も言わずに帰るのはアメリカ人のプライドが許さなかったのか、あるいは彼女なりに空気を読んで発言したのか、いずれにしても自身の「中国通アメリカ人」としての見解を話し始めた。

「あなたは日本がナンキンでやったことを分かった上で、日中友好を主張しているのかしら。もし知っているならば、仲良くしようなどとは到底言えないはずではないのかしら?」、「日本が中国で犯した多くの罪は、永久に忘れ去られることはないし、中国人は日本人を許すことはないでしょう」と彼女は言い切ったのだ。

 

このアメリカ人は、自分のプレゼンをぶち壊してくれたと思った。よりによって「ナンキン」の単語を出したことは致命的だ。果たして筆者の真意を理解すれば、到底こんな発言はできないはずである。彼女には日本人の友人はいないのだろうし、日本と中国の関係など、どうなってもお構いなしなのだろう、とにかくこの場にいる彼女の友人である中国人に媚びが売りたいだけ、そんな風に感じた。

 

以下、「リアル・チャイナとジオポリティクス(7)」へ続く。

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リアル・チャイナとジオポリティクス(5)

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「実は日本人の〇〇(筆者のファーストネーム)から、今日はひとつ発表がある、みんなに聞いて欲しい。」ターンテーブルを取り囲む中国人が、一斉に筆者に振り返った。事前の前振りゼロで、文字通り凍り付いた筆者は、「え?なんのことでしたっけ?」と高官に尋ねると、「いつも話してくれる、あの孫文の話だよ、ほら」と切り返された。


孫文の発表資料は、内容を丸暗記していたので、中国語であってもプレゼンし切る自信があった。問題は、場の空気感である。数多くいる中国人の中で、日本人は筆者だけ、尖閣問題は相変わらず炎上しているような状態のタイミングである、かつ目の前にいる中国人たちのバックグラウンドは不明、もしかするとはだしのゲンの鮫島町内会長のような強烈な愛国者たちも含まれているかも知れない。


もともと筆者は、どちらかというと、プレゼンテーションでそこまで緊張するタイプではないが、この時ばかりは状況が違った。ざっと居並ぶ中国人に見つめられ、これから話さなければならない話題が、非常にタッチ―な話題であることもあり、背中に嫌な汗が流れ、鼓動が高鳴るのを感じた。

「授業が終わり、内容を忘れてしまった」とか、「プレゼン資料を家に忘れてきた」など、いくつかそれらしい言い訳も脳裏をよぎった。一瞬が随分長い時間に感じられた。しばらく頭をフル回転させ、逡巡した結果、プレゼンを決行することにした。

何を恥じることがあるか、自分がこれまで考え抜いてきた内容である、そして自分がプライドを持っている部分でもある、これで非難されるならその非難は甘んじて受けよう、と心に決めた。


簡単な自己紹介の後で、「今日はとても寒いですね。寒空の下、自転車で駆け付けたので、顔面の筋肉が硬直してうまく笑えませんが、普段はもう少しスマイリーですから、誤解しないで下さい」と、ニッコリ笑って、アイスブレイキングのつもりでジョークを言ったが、誰も笑わない。皆、無表情に筆者を見つめ続けている。

アウェーの中で、慣れない中国語でのジョークでもすべり、心底、心が折れそうになった。後から分かったことだが、参加者はプレゼンを指示した高官の真意を掴みかねていたようである。つまり筆者が好意的な理由でこの場に呼ばれているのか、あるいはその逆なのか、参加者たちは必死に行間を読もうとしていた。

筆者のジョークが、面白くなかった可能性は敢えて否定はしないが、どちらかと言えば、彼らにとってはそんなことはどうでも良かったのかも知れない。歓迎されるべき客人であれば、つまらないジョークでも笑うし、がんばって場を盛り上げようとする。これはどこでも大きい組織で働く以上、よく見る光景ではないかと思う。


それ以前にプレゼンさせられている筆者自身も、高官の方が孫文のプレゼンを気に入ってくれているのか、実は嫌っている内容なのか良く分かっていなかった。前々回に書いた通り、時期も時期なだけに、敢えてプレゼンに対する感想を聞くことはしていなかったのである。


どうなったとしても自分は日本人であり、習志野ナンバーであると決意を固めて、もはや参加者の反応は敢えて気にしないように、無理やり自分自身マインドセットを固めた。

孫文のプレゼンは日中の友好がメインテーマである。究極的に友好を唱える日本人に対して、いかなる理由であれ、石をぶつけてくるのであれば、その時は潔く「中国との決別」を誓おうじゃないか。それはそれで自分自身スッキリする、などと頭の中で思いを巡らせながら、決死の覚悟でプレゼンを進めていった。


以下、「リアル・チャイナとジオポリティクス(6)」へ続く。

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リアル・チャイナとジオポリティクス(4)

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ボストンの冬はとにかく降雪量が多かった。ただ「除雪のインフラ」も素晴らしく、夜中に大量に降った雪も、早朝に除雪車が主要な道路を除雪してくれるため、通学時間には自転車で通うことができた。それでも氷点下10度前後の中での自転車通学は、拷問のように辛かった。ヒートテックを二枚重ねで厳重な重装備の上、意を決してチェーンを外し、自転車に跨ったのを覚えている。


とある寒空の冬の日、筆者は一通のメールを中国政府の高官から受信した。メールの内容は懇親会をするので一緒に参加しないか、というものであった。

場所は学生寮から自転車で片道30分ほどの場所のようだ。お誘いはとても有り難いと感じた一方で、正直、この猛烈に寒い中、自転車で駆け付けるのは勇気が要った。

しばし考えた後に「喜んで参加します」と返信を打った。わざわざ声を掛けてくれるというのは、どういった趣旨なのだろうか、と考え巡らせながら当日を迎えた。やはり会場までの片道30分の道は、過酷な行程となった。寒風吹きすさぶ中、顔面が凍結し、表情がみるみる無表情になっていった。なにしろ笑おうとしても、顔面の筋肉が硬直してうまく笑えない。

会場は地元の中華料理屋であった、中国本土さながらにターンテーブルが置かれ、その周囲を参加者が取り囲んでいた。人数は15人から20人ほどいたと思う。上座には筆者の親しくしていた高官の方々が数人座っていた。自分だけが日本人で、他は全員中国人だったが、数名を除いて誰も面識がなかった。正直、かなりのアウェー感である。


高官の方から、「あなたはこの席だ」と指定された席に着席した。周囲の中国人と話をしてみると、どうもハーバードだけではなさそうで、お隣のマサチューセッツ工科大学(MIT)や、他のボストン近辺の中国人も含まれているようだ。

筆者が「日本人だ」と伝えると、分かり易く表情が引きつった人もいた。なにしろタイミングがタイミング(尖閣暴動の約3か月後)なだけに、ある意味自然な反応だと思ったが、もしかすると寒空の自転車で顔面が引きつった筆者に合わせてくれただけかも知れない、と好意的に受け取っておいた。


会は全て中国語で行われた。筆者も中国語を猛勉強中の時期だったので、大方話されている内容は理解できた。しばらく高官の方から中国経済や、アメリカの技術革新についての話がなされ、参加者は皆、基本黙々と聞いているが、たまに参加者が意を決して発言をして、「そう、その通り」、あるいは「どうだろうか、例えばこういう視点もある」と高官が合いの手を入れるといった具合だった。

筆者も日本の組織における、「エライ人との会食」の経験が比較的多いため、日本と中国といっても、こういった場の進め方はとても似ているものだな、などと考えていた。

なんというか、アメリカ人がズバッと斬新な視点の意見をいうことが評価される雰囲気である一方で、日本や中国の場合は、エライ人が言ったことを基本的には全面肯定しながらも、それに付加的な情報を言い添えたり、あるいは多少「おまえ、分かってないなぁ」と言って貰うような可愛げを示すようなスタンスが評価されるという感じだろうか。

空気を読む、あるいは聞いている相手が期待するような答えをしていくという目標自体は共通ながらも、そのゲームのルールはアメリカとは異なり、日本とは似ていると感じる。


そこへ中国人女性参加者のひとりと共に、その友人と称するアメリカ人女性が入ってきた。彼女は、筆者でも分かるぐらい中国語はそんなに得意そうではなかったが、場に合わせて中国語を一生懸命に話し、「一般のアメリカ人は中国を良く分かっていないけど、私は中国のことを良く知っているし、大好きなのよ」と自己紹介した。


ここで突然高官が立ち上がり、思わぬ言葉を口にした。「実は日本人の〇〇(筆者のファーストネーム)から、今日はひとつ発表がある、みんなに聞いて欲しい。」


ターンテーブルを取り囲む中国人が、一斉に筆者に振り返った。「え?何のこと?」寒空の自転車で顔面が硬直していた筆者は、この発言を聞き完全に表情が凍りついた。


以下、「リアル・チャイナとジオポリティクス(5)」へ続く。


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リアル・チャイナとジオポリティクス(3)

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ボストンの夏は緑で埋め尽くされ、太陽に照らされたレンガの建物とマッチして、言葉で表現できないほどの素晴らしい風景となる。ただしボストンの秋は短い。11月には雪が降り始め、12月には氷点下が当たり前になっていった。

筆者が滞在していた際のボストンは、特に記録的な厳冬であり、1月から2月の最も寒い時期には氷点下10度以下の日が連続し、ハーバード大学付近にある「チャールズ川」が完全凍結することになった。コーヒーをこぼせば、即座に氷結し始めるような低温であり、耳を出したまま外出すると帰宅時に耳がシャリシャリと凍結しているような世界だった。

 

話題をリアル・チャイナとジオポリティクスに戻すと、「打倒日本を叫ぶことが、愛国心の表現であり、一種そういった愛国心の競争のようになっている」と言われてから以降、ずっと考えていた。自分の脳裏によぎったイメージは、昔小学校時代に学校で読める唯一のマンガだからという理由で、図書の時間に好んで読んだ「はだしのゲン」に出てくる「鮫島町内会長」だった。

鮫島町内会長は、「打倒鬼畜米英」と事ある度に絶叫し、アメリカ軍の大型爆撃機B29が攻めてきたら竹やりで徹底抗戦すると主張するかなりの精神論者として描かれており、それに異議を唱えるゲンの父親を非国民と非難し、特高警察への密告など、あらゆる方法でプレッシャーを掛けるという役回り。

もちろん鮫島町内会長は実在した人物ではなく、マンガであり戯画化されているものの、手塚治虫のマンガにも同様のキャラクターが出てくるので、戦争中の「愛国者」のひとつの姿であっただろう。


いまの日本人にとっては、B29を竹やりで撃ち落とすと非科学的な主張し、反対する者を「非国民」とレッテルを張って社会的抹殺を目指すような人物は、どう考えても真の愛国者ではないと思う。むしろ敬遠したい人物の筆頭格ではないだろうか。

しかし、デパートや工場を焼き討ちしておいて、それを「打倒日本を叫ぶことが愛国心の表現」と言い切ってしまう人物が、どうやら現代の世界にも存在する。どうしても鮫島町内会長に重なって見えてしまう。

本人は極めて真剣であろうから、なおさら手が付けられないであろうし、そういった極端な主張をする人物を近づけないためにも「中国勉強会を無期限延期」しようと提案してきた女性中国人幹事の判断は適切に感じられた。

彼らの本音は聞いてみたかったが、聞くことでお互い感情的になってしまうのであれば、何の意味もない。

どうアプローチすれば良いか考えている内に時間が過ぎ去っていった。


この悶々とした思いは、ある種のショック療法によって表明せざるを得ない日が来た。筆者はハーバード留学中にさまざまな方面の人脈を開拓することに時間と労力を注いだが、その中には中国政府の高官の方も何名か含まれていた。

中国であれば、日本の一部上場企業の社長が頼んでも、決して会えないようなポジションの人々が、普通にハーバードの街中を歩き、時に授業を見学したりセミナーに参加したりしていた。彼らはアメリカ生活をエンジョイしようとしていたし、外国人学生との対等なキャンパスライフをエンジョイしようとしていた。筆者は仲良くなったこうした方々に、次第に自分の秘めたる日中関係に対する思いを話すようになっていった。

その中で、「ハーバードの最強語学プログラム (5)」でご紹介した中国語のプレゼン内容、孫文を日本人が強力にサポートした話を引き合いに出して、「両国は原点に戻るべきだ」という話を伝えるようになっていた。

孫文は中華圏では、近代化の父として圧倒的な支持を受けている中国人のヒーローである。晩年の政策に賛否が分かれる毛沢東以上に、多くの中国人から愛されている英雄であり、その孫文が独力ではなく日本のサポートを受けているという事実は、中国人に余り知られていない衝撃的な事実であった。

本国に戻れば、相当なポジションと権力を持っているであろう、こうした人々は筆者が語る「失われた日中友好の歴史」の話を反対する訳でも、賛成する訳でもなく、ウンウンと聞いているのであった。筆者も時期が時期だけにあえて「どう思いますか?」とは聞かなかった。

ある日突然、驚く展開が起こり、筆者は予想もしない事態に投げ込まれることになった。


以下、「リアル・チャイナとジオポリティクス(4)」へ続く。

 

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リアル・チャイナとジオポリティクス(2)

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まずいくつか自分自身が体験したエピソードをご紹介します。

2012年8月、筆者はハーバードにて中国に関心を持つ学生(中国人、日本人、アメリカ人など)を集めた勉強会の企画を進めていた。自分以外に中国人の女性幹事を立てて、それなりに人数が集まりそうな感触が得られてきたので、実際の顔合わせと初回の勉強会の日程を決めるところまで企画が固まってきた。


この時期、折から悪化してきていた尖閣諸島の問題は、最悪の展開を見せていく。9月に入り野田総理による国有化の実行と、それに伴い中国全土で日本に対する反日暴動(※中国では反日「活動」と表現している)が展開され、中国人暴徒によって日本企業の工場やデパートなどが焼き討ちされたり、破壊の対象とされた。

こうした様子は、普段CNNやBBCを流すハーバードの大型スクリーンでも放送され、日本人、中国人以外の国籍の学生も間近に見る事態となり、「ただならぬことが起きている」という認識が、教官と学生の間で広がっていった。


燃え上がる日本のデパートを映し出すニュース映像を、大型スクリーンで眺めていると、アメリカ軍から派遣されている同級生が通り掛かり、「こんな光景を見せられて、日本人としてどう思うのか?」と聞かれた。

なんとも答えようのない質問だった。「いやむしろ俺の感想ではなく、中国人としてどう思うのか聞きたいところだ」と答えた。友人は渋い顔をして「やっぱり日本と中国は仲悪いんだろ?おまえ個人は関係ない、仕方ないんだよ」といって、筆者の肩をポンと叩いて去って行った。

中国にも日本にも住んだこともなく、アジアの歴史を深く学んだことのないアメリカ人の友人にとって、これ以上分からないが、最大限筆者自身をフォローしてくれたのだと感じている。


アメリカでの報道の仕方は、視聴者にほとんど日本人が含まれていないだけに気を使う必要はなく、それだけ露骨だったと思う。「日本に(戦争時代の)仕返ししてやった」と、ドヤ顔の中国人女子中学生が出てきた。この子供に見える女子中学生に、親や教師はどんなシツケや教育をしているのか、正直メラメラと感情が高ぶってくるのが自分でも分かった。


こうした状況下、中国勉強会の中国人幹事に連絡を取った。彼女は、「学期が始まりとても忙しくて、ちょっと手が回らなくなってきた」と企画の延期を提案してきた。実際に学期の開始時期は、極めて忙しかったことは事実であり、筆者自身も捌き切れなくなっていたので、「じゃあ、手が空いてきたら是非やろう。」と伝えて、2週間に一回ぐらいの頻度で、「そろそろ、どうだろう?」と聞くようにした。


真偽の程は定かではないが、今でもこれは筆者を傷付けまいとする断り文句であったと感じている。筆者としては、反日暴動の後、中国人たちの本音を直に聞いてみたいと思っていた。普段ならできるかどうかは分からないが、感情論のぶつけ合いではない冷静な議論が、アメリカで留学生同士ならできるかも知れない。


「そろそろ、どうだろう?」を何度か繰り返した後、11月に女性中国人幹事から「二人で会いたい」と呼ばれることになった。彼女は開口一番、「もう感じていると思うけど、いま日本人と中国人で企画をやることは難しいと思う」と言ってきた。

彼女は続ける。中国人同士で「この問題」について集まって議論をしたと、その中では特に若い世代から非常に過激な発言が連発し、全くもって冷静ではなくなっていると。彼女の捉え方は、「打倒日本を叫ぶことが、愛国心の表現であり、一種そういった愛国心の競争のようになっている」と言っていた。

これを聞いてとてもガッカリしたことを今でも覚えている。なんと言えば、その当時の心境をご理解頂けるだろうか。「何も知らない無知な女子中学生が色々テレビで言っていたと思うが、気にしないで欲しい、大人の中国人は冷静だ」と建前でも良いから言って欲しかったのである。


筆者自身が日本人である以上、打倒日本で決起する人々とは、協力する余地はないことは明白だ。この状況下、どうするべきか?あるいは、「リアル・チャイナとジオポリティクス」をテーマに、わざわざ遠路はるばるボストンまで留学に来た筆者の命運はどうなってしまうのか(笑)、非常に暗澹たる気持ちを抱えていたことを鮮明に覚えている。



以下、「リアル・チャイナとジオポリティクス(3)」へ続く。

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リアル・チャイナとジオポリティクス(1)

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「これからはアメリカと中国が覇権を競う時代だ。」


時を遡ること2012年7月、国際政治学の世界的権威であり、クリントン政権の中枢を務めた経験を持つジョセフ・ナイ教授は、ハーバード大学の広い階段教室を睨みつけるように学生に向かってこう言い放った。

そしてこう続けた。

「中国の発展は目覚ましい。改革開放以来30年掛けて急激な成長を遂げた中国の世界における経済規模は、既に18世紀の清朝全盛期の水準が視野に入ってきた。アメリカ衰退論はこれまで何度となく主張されてきた。1950年代にはスプートニクショックを起こしたソ連、1980年代素晴らしいテクノロジーで世界を席巻した日本、そしてこれからは米中の時代となる。」

ナイ教授は続ける。


「中国が仮に米国のGDPを凌駕したとしても、中国は軍事力、経済力などのハードパワーを持っているに過ぎず、米国には中国にない民主主義に基づく市民社会というソフトパワーがある。米国はソフトパワーによって世界の主導的立場を堅持する。」

ナイ教授は前述の経歴に加えて、ケネディスクールの学部長を長年務め、厳しくも丁寧に学生を指導することで定評のあるスター教官として認識されている。実際この日の講演のテーマも「スター教官による講演」というタイトルであった。

講演のテーマは教官の自由設定であり、誰もがナイ教授の専門分野であるアメリカ外交や国際政治についての講演であろうと予想していただけに、講演内容のほとんどが中国、とりわけ中国に対抗するアメリカ、というテーマであったことは驚きとして受け止められた。階段教室にひしめく世界中の約60ヵ国から集まる200名の社会人大学院生達は否が応でも「米中時代の幕開け」を実感することとなった。


アメリカと中国、この強力な二つの大国に挟まれ、日本はどう存在感とリーダーシップを発揮していくのか、このマクロ戦略を考えていくことは、自分にとってのライフワークといえる壮大なテーマです。

またその問題意識の下で、あまり日本の方が出入りしないようなアメリカや中国の特殊なロケーションで、自分自身が見聞きしたことを、ご覧頂く方にお伝えすることがこのブログの趣旨でもあります。

以前の投稿「純粋ドメスティックが考えるグローバル人材(6) 」において、グローバル人材の要素として語学力に加えて、ジオポリティクス(地政学)の知見についてご紹介したところ、ご覧頂いた方から「現在の状況下で、日本企業にとっての中国ビジネスの成功要因はなにか?」とのご質問を頂きました。

非常にポイントを突いたご質問であると感じました。「アセアンシフトは妥当な判断か?」において反語的に問い掛けた日本企業の動きも、単に人件費が東南アジアが安いからという理由だけではなく、この難しさを背景としていると感じています。

ジオポリティクスの観点で「中国との付き合い方」が最も頭を悩ませる問題であり、かつ経済権益(ビジネス)の観点でアップサイド・ポテンシャルも最も期待できる領域です。であるからこそ、「ハーバード研究員が見たリアル・チャイナ 」でご紹介した通り、自分自身も中国を研究対象とし、ディープに現場に入っています。

今回のシリーズ「リアル・チャイナとジオポリティクス」では、これまでの投稿を総合しつつ、新たな論点も加えながら、この壮大なテーマについて、後々の検証に耐え得る仮説を検討していきたいと思います。

以下、「リアル・チャイナとジオポリティクス(2)」へ続く。


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ハーバード研究員が見たリアル・チャイナ (8)

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上の写真にある通り、中国で広く普及している原付バイクに乗る人は、ほとんどヘルメットを被っていない。おそらく9割以上の人が、ノーヘルでバイクに乗っている。

「なぜヘルメットを被らないのですか?危ないと思います」と尋ねると、「だって面倒くさいし恰好悪い」という不良高校生のような返答となる。こうした細かい生活感度の違いを知ることは、国民性やメンタリティを知る上での材料にもなっている。


次世代金融システムへの切り替えは、よりマクロの視点で捉えると、「国退民進」(国有企業を縮小し、民間企業を拡大する)という中国の社会構造の変化、及びそれに必然的に伴う「政治構造の地殻変動の可能性」を内包しているところが興味深い点でもある。

前述の通り、1979年改革開放政策以降の中国経済システムは、ソ連のNEPや日本の55年体制を手本としながら、中央政府が強力な管制高地を掌握し、国有大銀行を通じて、国有大企業に資金を配分する非常に強力な中央集権体制の下で進められてきた。

後進国が中所得国に至るプロセスにおいては、こうした体制は合理性があり、優秀な政治家や官僚によって計画され、マクロコントロールされた経済は、驚くことに一度も金融危機に見舞われることなく、高度成長を実現していった。しかし、この方法論は既に役割を終えつつある。

ここから生活水準の意味で先進国への仲間入りを果たそうとした場合は、「国退民進」とマーケットメカニズムの導入が不可欠である、というのが中国政府指導部の共通した認識となっている。制度疲労を起こしている既存システムの切り替えが必要となる。

しかし一度出来上がってしまった国有企業システムは、強力な既得権益を持ち、改革に対する抵抗勢力となっていると思う。これは日本の「国鉄民営化」や「郵政民営化」とは比較にならない程の激しい政治対立を生んでいる。

既得権益の実態は、まさにアンダーグラウンドの世界なので、噂ベースの憶測の域を出ないが、メディアで明るみになっているだけでも、官僚や国有企業社員への賄賂や不正蓄財、薄給では決して買えないマンションを大量保有している人がいることが報道されており、これを氷山の一角と見るのがむしろ適切ではないかと思う。

ひとつの興味深い実例は、現地でヒアリングした国有企業におけるコネ採用の規模感である。多くの中国人から聞いたところでは、大手国有企業の場合、なんらかの親のコネクションを理由に採用に至るケースが8~9割。

ごく少数、例えば北京大学清華大学首席クラスの学生のような例外を除けば、ほとんど全てがコネ採用となっているのが実態のようである。こうした人々が、既存の社会システムを擁護する側に回り、強大な権力を持ってしまうと、「国退民進」というスローガンは名ばかりのものとなってしまい、中国経済は活力を失い、永久に中所得国の罠から脱することはできないだろう。

日本で語られる「中国」は、多く「中国外交部」の公式発表を指しているように感じるが、寧ろより中国内部の流動的な政治情勢を詳しく知ることが、この大国とうまく付き合っていく上での重要なポイントになると感じている。

その観点で、8月に発表され、9月下旬にスタートした「上海自由貿易区」プロジェクトは、現政権が構造改革のための目玉事業として位置付けており、「中国は変われるのか?」という疑問に対して、政府指導部がどういった答えを具体的に出していくのか非常に興味深い政策である。またそれに反対する国内勢力との主導権争いを見極める中で、流動的な中国政治の実態が見えてくるとも感じている。

 

歴史を紐解けば、中華民国時代、孫文蒋介石をサポートしたのは、浙江財閥と呼ばれる上海や温州近辺の富裕層であり、また日本の政治家や実業家であった。孫文は日本の実業家である梅屋庄吉の財政サポートなくして、中華民国の建国は実現できなかったと告白している。

中国の急成長は、にわかに東アジアのジオポリティクスを20世紀前半に引き戻していると感じており、「国退民進」の動きが加速すれば、中華民国時代のように、更に多様な中国との付き合い方が生まれてくることが予想される。次々生まれる民営企業の実業家が、どう中国の改革を加速させていくのか、その中で、日本やアメリカなどとどう協調関係を作り上げていくのかが非常に興味深いところと感じている。

こうした変化する中国を見極める上で、「金融システム」についてどういった議論が行われ、具体的にどう政策として実行されるかは非常に重要な論点と考えている。現在の金融システムは、国有企業に国有銀行が資金をばら撒くシステムであり、故に既存システムの心臓部であるため、中国の「いま」が凝縮されている部分でもある。

目下のシャドーバンキング問題をどう解決していくのか、あるいはマンション投資や本業のビジネスで莫大な富を生み出した新興実業家たちが、どう国内で政治力を発揮していくのか、どう外国との関係を作ろうとしているのか、この辺りを中心に今後もリアル・チャイナの実態に迫るべく研究活動を続けていく所存です。


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ハーバード研究員が見たリアル・チャイナ (7)

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上の写真は、筆者が大好きな「揚州チャーハン」と呼ばれる上海周辺で好んで食べられているチャーハン。黒胡椒のシンプルな味で、悠久の歴史の中で結局長く愛される食事と言うのは、シンプルに美味しいものであると実感する。

前述の通り、中国金融システムは、アングラ金融と理財商品というふたつの「シャドーバンキング」問題を抱えている。筆者の研究テーマである「中国の次世代金融システム」の観点では、こうした諸問題を解決し、中国の経済を安定した発展軌道に乗せるためにはどういった方策が考えられるかを検討していくことになる。

まず注意が必要な点は、「中国金融システムに問題がある」イコール、即「中国経済崩壊」とはならないということ。中国のあらゆる社会制度は、中国政府の強力なコントロール下にあり、市場経済に生きる日本人や欧米人の想像する世界とは全く異なることが多い。

従って、一旦は欧米の常識を脇に置いておいて、中国のスタンダードを知った上で丹念に詳細を見ていかない限りは、この巨大な国のシステムがどの程度のリスクがあり、また将来どう変化していくかを見通すことはできないと感じている。

端的な例は、6月の「SHIBOR危機」と呼ばれる上海のインターバンクレート(銀行間の短期資金の貸出金利)急騰事件。直前7.7%だった同金利は、一日にして13%超まで急騰した。

筆者も2008年のサブプライム金融危機の際にポジションを取っており、その時にアメリカのインターバンクレートが急騰したのを間近で見ていた。リファイナンス(借金の借り換え)を予定している投資家にとって、インターバンクレートの急騰は戦慄が走る。

つまり最も信用度が高い銀行ですら、また極めて短期の借り換えですら不可能になる事態を意味しており、それは借り入れを行っている多くのマーケット関係者にとって「死」が予定されることを意味している。金融危機の際に「Cash is King」あるいは「Cash is God」と言われる理由であり、マーケットで貸出資金が蒸発する際には現金を持っているプレーヤー以外はほぼ全員死に至る。

但し欧米ではインターバンクレート(いわゆるLibor)を基準金利にして、自由なマーケットでリファイナンスが行われているが、中国は金利の自由化を行っておらず、未だ中央銀行が発表する貸出金利が基準金利となっている。インターバンクレートは、銀行の調達環境を判断するための指標にはなるが、急騰したことが即マーケット参加者全てに影響が波及する訳ではない。

6月の「SHIBOR危機」が炙り出したポイントは、欧米の専門家ですら中国の金融システムや経済システムについて、あまり熟知していない可能性が高いということではないかと思う。あるいは理屈では理解していたとしても、皮膚感覚での理解に至っていないのかも知れない。直にこの広大な中国大陸を歩き回って、現場の生情報に触れることの重要性を痛感する。

一方で「中国の次世代金融システム」の観点で注目すべき成長産業は、リースやアセットファイナンスなどの銀行とは別ラインのノンバンクセクターと思う。中国の銀行セクターは前述の通り、未だに旧態依然とした国有企業の行風を色濃く残しており、マーケットベースの信用リスク市場を創造していく担い手としては、ややスピード感と実際の実務能力に欠けている。むしろ強力な既得権益を持つ、改革の抵抗勢力にすらなっているかも知れない。

起業家精神旺盛なノンバンクセクターが、どの程度成長し、それが銀行セクターの不完全性をどう補完していくのか、という点が今後の中国金融システム、及び将来の中国経済の成長力を見極める上では非常に重要ではないかと感じている。この点、ネット大手のアリババ(阿里巴巴集団)が取り組んでいる、ネット取引での信用リスクデータベースを活用した中小企業ファイナンス事業や、プライベートエクイティファンドが取り組んでいるリースやノンバンクのベンチャー企業が、今後どう発展していくのか、この辺りを注意深く見極めていきたいと考えている。


以下、「ハーバード研究員が見たリアル・チャイナ (8)」へ続く。


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ハーバード研究員が見たリアル・チャイナ (6)

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アングラ金融に加えたもう一つの中国金融システムの問題点は、「理財商品」と呼ばれる銀行の窓口で販売される高利回りの預金性商品。むしろメディアでは、こちらの理財商品の方がシャドーバンキングの震源地として報道されることが多い。

時はさかのぼり、真夏の酷暑の上海。今年の夏は異常な暑さで、気象観測所ができて以来の記録的な酷暑となった。中国の新聞社も遊び心を駆使して、「路上で焼肉ができるか?!」という企画を組んで、実際に上海や重慶などの酷暑に見舞われた都市の道路上で、生肉を置いて焼肉になるかを試す、という記事を書いていた程であった。

筆者は40度を超える炎天下の中、上海市内の銀行窓口で口座開設の作業に取り組んでいた。場所は中国の4大銀行のひとつ、超大手銀行の某支店。「世界水準のサービスを、あなたに」というキャッチフレーズの映像が流れる大型スクリーンの下で、あまり愛想を感じさせない女性行員に口座開設手続きを尋ねた。


「あなたは日本人ですね?それならこの書類に記入してパスポートと一緒に持って来て下さい。」そっけない感じで淡々と説明をする女性行員。外国人であったとしても、銀行口座の開設はとても簡単にできる。生年月日や中国国内の住所を記入してパスポートと共に提出すると、ものの5分で人民元の口座が完成した。

「理財商品を買いたいのですが、なにがお勧めですか?」と聞いてみると、「理財商品はあまりにたくさんあるので、どれが良いとか分かりません。全てホームページに載っているので、自分で見て下さい。」と、やはりそっけなく返答を受けることになった。

口座を開設した銀行のホームページで「理財商品」のタブをクリックすると、ページ数にして20ページあまりに渡るもの凄い数の理財商品が、目の前に現れた。金利水準の高低でソーティングしてみる。どうやら年率4~9%の幅にほぼ全ての理財商品が分類されるようだ。期間はそれぞれ異なっており、30~90日が最も多いように見える。

予想外であったのは、最低投資単位。10,000元(約15万円)ぐらいから買えるかと思っていたら、大抵は50,000~100,000元(約75~150万円)となっており、「試しに買ってみる」という割には金額が大き過ぎるので、実際に買うことは諦め商品理解に集中することにした。

ローリスク型、ミドルリスク型、ハイリスク型、それぞれの理財商品の詳細ページに移って目論見書に目を通すことにした。まず目に入るのが「これはリスク商品なので元本毀損リスクがあります。損失が出た場合は投資家の自己責任です」と書いてある。その下には、信用リスクや金利リスクなど、どういったリスクがあるのかについても、詳細な説明がなされていた。しかし肝心な説明が脱落していた。

そもそも何にいくら投資している商品なのかの説明が見つけられなかった。「投資対象」の欄には、「債券0~80%、債券類0~80%」、あるいは「債券0~60%、株式0~60%、それ以外0~60%」のように書かれているが、これだけでは流石に自己責任の取りようもない。文字通り読んだ場合は、「何に投資するかは教えません。でも損が出たらあなたの自己責任です。」という理解になる。

これで本当に大丈夫だろうか、中国の投資家はこうした損失を黙って受け入れるのだろうか?

こうした理財商品は、銀行のバランスシートから切り離されることで、債券、株式あるいは銀行が融資している貸出債権に投資が行われる。なににどの程度投資されているかは不透明であり、多くは地方政府のインフラ開発や不動産開発に投じられている可能性も高い。

中国の銀行が理財商品に走ることになった理由は、中国政府による規制の枠の中で、収益拡大に走った結果のようである。中国政府は銀行の融資総量と預金総量の比率、いわゆる「預貸率」によって銀行のバランスシートをコントロールしている。一方で、貸出金利も預金金利もこれまでは政府の完全コントロール下にあり、銀行として収益捻出のための工夫の余地はほとんどなかった。

銀行は中国政府の「子会社」として、中国国民の預金を集めて、政府保証や不動産担保を持つトップティア企業に対して「金をばら撒く機能」を果たしてきたところが大きい。

一方で、トップティア企業への貸出と、預金金利の間の預貸スプレッドは縮小を続けており、従来のビジネスモデルは岐路に立たされている。また、この絶対安定的な銀行経営にも競争原理を導入する動きが活発化しており、更に銀行収益を圧迫する要因となっている。理財商品はそうした銀行の立場としての、技巧をこらした収益捻出のためのツールとなっている。

ただし前述の通り、中国の投資家たちは理財商品の損失を受け入れることは難しいだろう。結果的にオフバランスされているはずの金融資産のリスクは、実質的には中国の銀行に残ることになる。結局実態は銀行丸抱えであることに変化がない、これが理財商品の残念な実態であると感じている。

以下、「ハーバード研究員が見たリアル・チャイナ (7)」へ続く。


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ハーバード研究員が見たリアル・チャイナ (5)

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ナニワ金融道の世界。筆者が中国のアンダーグラウンド金融を知れば知るほど、その実態が昔愛読したナニワ金融道の世界に酷似していることに気が付く。アングラなだけに正確な統計はないが、多くの専門家は中国の融資総額の30%前後は、当局が把握していない違法な形で行われていると推計している。

これはナニワ金融道的なサラ金業者、商工ローン業者も含まれるが、一方で家族や友人間の互助的な融資も含まれている。世界の報道機関が「シャドーバンキング」として注目している中国経済のリスクの根源は、このアングラ金融の部分に存在する。

中国で現地調査をしていけば、こうしたアングラ金融が非常に身近な存在であることに気が付く。違法な行為であるため借用書は作らず、多くの場合は電話一本で融資が実行される。金利は中国の利息制限法に該当する金利25%前後と比較して、遥かに高い年率60~200%前後。

融資そのものがアングラなだけに、回収方法もアングラなものになる。中国経済が減速する中で、数多くの経営者や個人が夜逃げや自殺に至ったと耳にしたが、なんらかの暴力的な行為が伴わない限り、「多重債務=自殺」という関係は成り立たないだろう。

筆者は昔、日本の生命保険に関係した金融スキームの検討に関わったことがあるが、その時に耳にした印象的な言葉がある。「生保は自殺や、加入して一年以内は保険金が出ません。多重債務者の場合は加入して一年後に、例えば冬の寒空のした酒を飲ませて泥酔後、凍死による事故死を装って借金の返済に充てる場合もあるそうです。」この話の真偽の程は定かではないが、アングラな世界にはアングラな世界なりの回収のノウハウがあることは間違いないだろう。

加えて、中国の特殊性は、上に写真を例示したような「担保会社」と呼ばれる保証を提供する民間企業の存在である。担保会社は以前は違法業者も多く含まれていたが、現在は規制業者として当局のコントロール下にある。銀行から金を借りることができなかった企業や個人は、保証料を支払って担保会社から「担保」して貰うことで、銀行から金を借りることができる。

銀行としては担保会社が全ての信用リスクを取っているので、リスクを抑えて貸出量を増やすことができる。仮に返済できなくなった場合には、担保会社がナニワ金融道よろしく取り立てに行くことになる。直接リスクを取る担保会社には、金を借りる側の審査能力が備わっており、また回収能力が備わっている。

 

こうした担保会社の事業規模が拡大すればするほど、銀行の視点、あるいは中国政府の視点では、「貸した先がどの程度リスクがあるか」が把握しづらい状況を生んでいる。

いかにアングラ金融が高利貸しであったとしても、中国経済は現在も7%を超える高い経済成長率を実現しているため、よほどのリスク投資に手を染めない限りは返済不能に陥るリスクは日本のような安定成長国に比べれば少ない。ここで問題は、前回の投稿で言及した温州人によるマンション投資のような、借金した上での不動産への投資である。

温州商人の中でもトップ層は、世界中の情報を下に不動産投資を行っており、中国国内でも温州のみならず、上海や北京のマンションを購入している。問題は彼らに追随したより零細のマンション投資業者であり、彼らは国際都市への投資スキルはないため、借金をして温州市内のマンションを買いに走ることになる。

一年前と比較して温州市内のマンション分譲価格は20%程度下落した。ふたつの大規模マンション開発は50%以上の値下がりを経験したと聞いた。一方で、上海や北京のマンション価格は今でも上がり続けている。結局は、投資スキルのない零細企業や個人が、リッチな温州商人に憧れ、借金をしてまで手近なマンションに投資をして、その後マンション価格が下落、担保価値が目減りした分を、アングラ業者からの借金で穴埋めして、借金が雪だるま式に増えていった。

こうしたプロセスが中国全土で無数に行われているのが、現在の中国金融システムの実態。メディアが注目するシャドーバンキングの本質と、その解決の難しさを現地に張り付いて観察することで痛感することとなった。


以下、「ハーバード研究員が見たリアル・チャイナ (6)」へ続く。


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ハーバード研究員が見たリアル・チャイナ (4)

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温州は海沿いの街であり、名物料理は海鮮(シーフード)。地元の名士に紹介して貰った、「安くてうまい」海鮮料理屋で夕食を取ることにした。確かに安いが、これぞ中国という風情の店。イケスに入った魚介類を選ぶと、店員がその場で調理して持って来てくれる。

写真の一番右端はシャコ。「これは日本ではシャコと呼んでいますよ」と話掛けると、店員が言うにはなんと温州では、「シャク」と呼ぶと言う。どうも異様に発音が似ている、、、ホテルに戻った後にネットで調べてみると、熊本県ではシャコではなく「シャク」と呼ぶようである。やはり、倭寇時代からの交流の証だろうか、こうした意外な共通性が妙な親近感を呼ぶ。

 

ところで温州経済の話に戻すが、中国はまさに日本を初めとした成功した国の事例を参考にしながら、1979年改革開放政策以来、ひた走りに貧困国からの脱却を進めてきた。

中国の中央集権的な政策は、政府が強力な権力を持ち、銀行と重工長大の主力産業を「直下の子会社」に置くことで、一糸乱れぬ計画経済を実現し、資源開発を進め、鉄鋼生産力を増強し、国内のインフラを整備して、労働力を吸収し輸出に耐え得る製品のための工場を次々に建設してきた。

必然的に国家を支えるブレーンたちは、政治家や官僚を目指し、集まる俊英たちによって政府権力はますます強力になるという好循環を生み出してきた。

鄧小平研究の第一人者であるハーバード大学エズラ・ボーゲル先生に教わったところでは、中国の改革開放政策のモデルとしたのは、ソ連成立期にレーニンが取り組んだ新経済政策(通称NEP)とのことである。実際に鄧小平は若い頃にNEP実行中のソ連を訪れており、インスピレーションを受けた可能性は高い。

現在一般に理解されている「ソ連」のイメージは、スターリン時代以降の軍事独裁体制であり、スターリン以前の短い期間は、共産主義を国是としながら、NEPによって市場機能の活用を目指すなど、現実的な政策が採られていた。

一方で、同じくハーバード大学の主任研究員であるWilliam Overholt氏は、改革開放のモデルは自民党時代の「55年体制」と分析している。これは別の言葉で「1940年体制」とも呼ばれている経済システムで、ひとつの政党による安定した統治が非常に長い期間続き、政策の連続性を保ちながら、強い国家権力によってメリハリのある経済政策を採ることができた。

鄧小平は改革開放を始める時点で日本を訪れ、新幹線などの日本の当時の最新技術を目の当たりにして、中国の改革必要性を痛感したようなので、「日本」を手本としたという見方も成り立ちうる。

この両方の分析を組み合わせると、ソ連のNEP、日本の55年体制、中国の改革開放政策が、非常に類似した経済政策であるという見方に至る。日本を「最も成功した社会主義の国」と表現する専門家もいるように、後発国として取り得る選択肢は限られているはずで、政治体制の違いはあるものの経済政策という点では、中国は、共産主義の先輩格のソ連が実現できなかった豊かさ、そして同じアジア人の日本が実現できた豊かさを目指しているといえる。



前回の投稿で、棚上げにしていた温州のネガティブな側面についてご紹介したいと思う。前述の通り、温州商人はその類稀なる起業家精神で海外貿易によって富を築き、その財力と持ち前のリスク投資精神を持って、上海を初めとした中国大都市のマンションを片っ端から買い漁っていった。

マンションは購入後、市況を見ながら数年で売却される。中国経済の順調な成長により、マンション価格は右肩上がりの上昇を続け、温州人たちはマンション転がしで巨万の富を得た。当初は財力のある成功した企業家によるマンション投資であったものの、噂が噂を呼び、あまり財力のない温州人までがマンション投資競争に参戦することになる。彼らは成功者と異なり自己資金が十分にある訳ではなく、銀行が金を貸してくれる訳でもない。金を借りる先はアンダーグラウンドの高利貸し業者ということになる。

結果的に温州は正規の銀行ルートの融資ではなく、それ以外のいわゆる「シャドーバンキング」による融資が横行する街となった。人々はマンションの値上がりを期待して、無理な借り入れを行い、規制されていない高利貸し業者も無節操に高金利で金を貸し続けていった。日本の1980年代の不動産バブル、あるいはアメリカの2000年代のサブプライムバブルに似た状況が中国で発生し、その先頭に立っていたのは温州人であったというのが、多くの人々から聞かれた話であった。


以下、「ハーバード研究員が見たリアル・チャイナ (5)」へ続く。

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ハーバード研究員が見たリアル・チャイナ (3)

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温州はチャンスと自由があるポジティブな面を持つと共に、いま中国が抱えるネガティブな面も同時に合わせ持っている。

と、その話に入る前に、そもそもなぜ筆者がハーバードの研究員として、中国に来ることになったかの話をご紹介したい。


中国という魔法の言葉」でご紹介した通り、現在ハーバード大学を初めとしたアメリカの教育機関、研究機関の中国に対する注目度は他の国への注目度を遥かに凌駕している。社会科学関係者の主たる関心は、中国の潤沢な消費市場へのビジネス参入機会と、政治面で力をつける大国中国を理解したいという二点に絞られる。

自分自身の研究テーマは「中国経済」であり、より詳しく説明すると「中国の次世代金融システム」ということになる。日本人である筆者が、「アメリカの大学で中国をテーマに研究員をしている」と話すと、驚かれることが多いのだが、自分なりに解釈しているその理由は、以下の3点である。

(1) アメリカの中国への強い関心という大きなトレンドがあり、故に大量の研究者を中国関連テーマに投入していること、

(2) 筆者自身が中国金融事業の実務経験があること、加えて、

(3) 東アジアの事情に精通していながら、言論の自由があり情報の信頼性が高い日本人という特殊な立場にいること、中国人の場合は、本土在住者であれば体制翼賛的な発言に偏りがちで、逆にアメリカに移住してきたような中国人だと極端に体制批判的になり、どちらにしてもあまり冷静な意見を聞くことが難しいこと。


現在中国は急激な成長によってこれまでの発展途上モデルを脱しつつあると同時に、労働力の高齢化や、貧富の格差の拡大などの諸問題を抱えており、今後先進国レベルの生活水準を実現するためには多くの難題が待ち構えている。

これは専門用語で「中所得国の罠(middle income trap)」と呼ばれており、まさに中国のような中所得の国が、先進国並みの高所得国になろうとする場合、国固有の問題を超えた共通の難題があることを意味している。

端的に表現すると、温州のような民間企業が活躍し、イノベーションが起こり、国内外の投資が活発化してくれることで、「中所得国の罠」を克服し、先進国の仲間入りをしたい、というのが現在の中国政府の政策目標といえる。


ただその道のりはとても険しいものとなるはずである。欧米列強のヘゲモニーが確立して以降、中所得国の罠を脱したことのあるのは「日本」以外に存在しない。日本が奇跡の国と言われた理由がここにある。シンガポールのような都市国家を除いて、他の国々はたとえ急激な経済成長を遂げたとしても、中所得止まりであり、生活水準で欧米を抜いた国は存在しない。

2010年に経済規模で日本を抜き、世界第二位の経済大国になり、中国国民の間には並々ならぬ努力の上で、「落ちぶれた過去の大国」の汚名を返上してこれたとの自負と自尊心を感じる。

一方で、未だに生活水準はあくまで中所得国であり、欧米や日本とはかなりの開きがあることはコンプレックスにもなっている。日本に対する一般の国民感情は、同じアジア人でありながら、やってもやっても「追いつけない追い越せない」ライバルに対する複雑な感情というのが正確ではないかと、現地に比較的長く住んで感じている。


以下、「ハーバード研究員が見たリアル・チャイナ (4)」へ続く。

 

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ハーバード研究員が見たリアル・チャイナ (2)

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倭寇の歴史も大きく影響していると推測できるが、温州は中国のユダヤ人と通称される「温州商人」の出身地である。実は日本を初め外国に来ている中国人は、その非常に多くが、温州を初めとして上海から南に1000キロほどの沿岸部(浙江省、福建省、広東省)の出身者である。

温州商人は中でも国際的に成功した中国人、としてブランドイメージを確立しており、故に「中国のユダヤ人」と通称されている。通常は地元意識の強い中国人の中で、温州人の移住意欲は尋常ではなく、温州以外の中国本土に150万人の「温州人」が居住し、アメリカやフランスなどの欧米中心に海外にも40万人の「温州人」が住んで現地でレストランや貿易業に従事している。本来は地元意識が強い中国人の中で、世界中に広がるネットワークを持っていることが温州人を非常に特殊な存在とさせている理由である。

 

温州で多くの温州人と語る機会を得た。彼らはみな、国際感覚を最も持っている中国人であることを非常にプライドに感じている。多くの人が口にしたのは、中国政府が温州を見捨てたから、自分達は強くなれた、という言葉だった。

温州を初め、前述の上海以南の沿岸部は台湾の対岸に位置する。実際に1950年代以降、国共内戦に勝利した中国共産党は、台湾の国民党との最終決戦に備えて、仮に攻撃をされても国力低下に繋がらないように、意図的に温州へのインフラ投資を手控えている。他の地域には、軍需産業や巨大国有企業が設立され、地域で雇用が生まれ、経済が国家主導で発展した経緯がある一方で、温州や 福建省などの地域は、長い間、国のサポートを受けられず、結果非常に貧しい経済状況に追い込まれた。

この逆境の中、温州人たちは持ち前の国際貿易の知見を生かし、国に頼らない自活の道を進んでいく。自分たちで民間企業を作り、産業を興し、安い労働力で作られた商品を世界中の温州人ネットワークで売りさばくことで、商業的に最も成功することができた。日本人が好きな「100円ショップ」で売られている小物の多くは、温州などのこういった地域で作られているものが多い。また中国の有力な民営企業が温州を初め浙江省に多く存在する理由は、こうした歴史的な経緯に由来している。

街のいたるところを見て回ると、無数の中小工場が存在している。上に掲載した写真はそのひとつで、革カバンの装飾品を作っている。温州人の多くが、早く自分の会社を興し、一生懸命ビジネスに励み、願わくば海外と貿易をして金を稼いで、できれば子供は海外の大学に進学させたいと考えている。温州人は最も起業家精神を持つ中国人なのである。


そんなことを考えながらタクシーに乗り込むと、かつて経験したことのないほどのラフな運転。前を走る車(そこそこスピードが出ている)を、無理やり反対車線に出てまで抜き去ろうとしている。首都高バトルを彷彿とさせる運転、生命のリスクが頭をよぎる、、、

隣に座る上海人学生が言う、「上海では停車中もメーターが回りますが、温州では停車中はメーターが回りません。それなので、運転手は一秒でも早く目的地につこうと努力しています。」、、、そりゃ、サービス供給者側の論理であって、俺たち客にはいい迷惑だろ、と言ってみたところで、そこは郷に入れば郷に従え、どのタクシーに乗っても結局は同じ。「うぉ、死ぬかも」という瞬間を何度か経験しながら、一応タクシーは無事に目的地に到着してくれる。

これは単なる偶然ではないかも知れない。温州のタクシーの荒さは、もう一つの温州人のメンタリティを象徴している。それはリスキーな投資が大好きという点である。国際貿易で多くの財産を築いた温州人は、次第に中国国内外の不動産への投資にのめり込んでいく。

貧乏な家の息子が、最初は簡単な衣料品会社を興し、海外相手に儲けた金で、温州や上海などのマンションに投資をし、数年後に次々転売することで巨万の富を築く、こうしたサクセスストーリーが最も成功した温州人の姿である。街中では、街の規模と不釣り合いなほど、ポルシェやベンツの最高級車が走り回っている。この街には知恵と努力で、成り上がれるチャンスと自由がある、そう感じさせる街なのである。

 

以下、「ハーバード研究員が見たリアル・チャイナ (3)」へ続く。

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