ハーバード留学/研究員記録

純国産(純ドメ)の日本男児。 総合商社でアメリカ、中国の投資の仕事をしてきた後、 ビジネスと政治経済の融合を目指してハーバード大学ケネディスクール(Harvard Kennedy School)に留学。 修士課程を卒業した後、現在は同大学の研究員として中国にて現地調査中。 アメリカや中国で感じることについて書いていきます。

ハーバードで語るアメリカの東アジア戦略(2)

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前回の投稿「ハーバードで語るアメリカの東アジア戦略(1)」では、アメリカにとって、日本のステディとしての立場が盤石ではなくなってきていることをご紹介した。冷戦の終結と、中国の台頭が不可避的に、日米関係の見直しをも迫っている。

 

アメリカとの良好な関係を続けることを希望した場合、ポイントは2点あると感じている。ひとつはアメリカのリーダー(候補)たちとの友人関係を構築することであり、もうひとつは日本の歴史認識を再整理すること。

 

少なくともハーバードで観察する限り、アメリカのリーダー(候補)たちとの友人関係構築という点で、「ハーバードのチャイナパワー」にまとめた通り、中国の勢いはもの凄いものがある。

以前「人のアメリカ、組織の日本」と表現した通り、アメリカは個人主義のコネ社会、そして中国はそれを遥かに凌駕するコネ社会と感じている。日本人の留学生が減少していることは、「視野の広い人材が減っている」という悠長な話ではなく、背景の熾烈なパワーゲームで競り負けることを意味している。留学イコール若い人のもの、という固定観念を捨て、30代から40代の日本のリーダー(候補)を、大量にハーバードなどアメリカの主要機関に送り出すような仕組みが必要ではないかと痛切に感じている。

また、中国本土では自由が効かない中国人と友人関係になるためにも、アメリカという舞台装置は有効であると感じる。欧米において、日本人も中国人も、パッと見では見分けのつかない「アジア人」である。生活様式も、考え方も実はとても似ていることを実感できるし、実際に友達になりやすいことは間違いない。日中二国間の話になると、途端にお互いの「違い」にばかり目が行ってしまうが、共通点を実感するためにも、欧米での共同生活は有意義なものと言えるだろう。

 

次に日本の歴史認識について、これはエズラ・ボーゲル先生からも指摘を頂いたポイントで、第二次世界大戦についての理解であるが、日本人一般の「アメリカ人の切れポイント」についての認識には、興味深い誤解があることをご紹介したい。

オモシロキコトモナキ英語ヲ、オモシロク」でご紹介した通り、実はケネディスクールで得た認識としては、日本語のニュアンスである侵略かどうかは、あまり大きな論点にはならない。ポイントは、(目的はどうあれ)軍事行動をアジア諸国に対して行い、結果として支持を得て成功できたのかどうかが「正義と悪」(アメリカ式の善悪二元論)の判断基準になっている。残念ながら支持が得られず、負けてしまった戦前の日本を、正義であったとアメリカ人に説得することは難しいだろう。

この観点で、第二次大戦の日本の戦争を、正義の戦争と言ってしまうと、ほぼ100%の確率でアメリカ人は切れてしまうだろう。要するに一般に認識されている「中韓だけが歴史問題を指摘」しているのではなく、度が過ぎるとアメリカをも敵に回す覚悟が必要であるというところが申し上げたいポイントである。実際、昨年来、日本を歴史修正主義者として批判しているアメリカのメディアはとても多い。

「度が過ぎる」と、申し上げたのは、それでも中韓とアメリカの比較において、許容量に差があると感じているからである。アメリカは戦後、日本の戦争指導者を一旦A級、B級、C級に分類して処罰した後に、大きく方針転換し、「ハーバードで語るアメリカの東アジア戦略(1)」の冷戦システムに則り、強力な「防共の壁」を作るために公職に復活させている。例えば1950年代の岸信介総理大臣は、A級戦犯容疑で一度拘留された後、復活している。

アメリカとしては、冷戦に勝ち残るために「清濁あわせ飲んだ」経緯があるため、中韓とは切れポイントがやや異なるものの、第二次大戦の基本認識に大きな違いがないことは、アメリカと付き合っていく上で重要な認識ではないかと感じている。