ハーバード留学/研究員記録

純国産(純ドメ)の日本男児。 総合商社でアメリカ、中国の投資の仕事をしてきた後、 ビジネスと政治経済の融合を目指してハーバード大学ケネディスクール(Harvard Kennedy School)に留学。 修士課程を卒業した後、現在は同大学の研究員として中国にて現地調査中。 アメリカや中国で感じることについて書いていきます。

ハーバードを卒業したら、警察官になります。

f:id:madeinjapan13:20130926232026j:plain

私はハーバード大学(学部)を卒業した後に紆余曲折を経て、ニューヨーク市警の警察官として、ブロンクスを安全な場所にするために毎日働いています。幸運にもケネディスクールに入学し、再び学ぶ機会を得ましたが、本日の卒業式後、週明けの月曜日からは職場であるニューヨークの路上に立ちます。警察官なので給料は高くはありません。

しかし世の人々は、ハーバードを卒業した人間に対して、投資銀行で職を得たり、ベンチャーを起業したり、そういった高収入の成功を期待するでしょう。そういった作り上げられた世の中のイメージを嫌がって、「一応、ボストンの大学を出ました」と出自をはぐらかす人もいるかもしれません。

この学校を卒業したら何をしますか?お金をたくさん稼ぐ人もいるでしょう。しかしハーバードのアイデンティティは、札束の中にはないはずです。社会活動家、教師、聖職者、軍人や看護婦、そして私のような警察官、現場の一人一人が社会を前進させ、より良いものに変えていくこと。その世界を変える行動こそが、この大学の卒業生として期待されていることです。

 

2013年5月30日、ハーバード大学卒業式。全米、全世界から集まった約7,000人の卒業生、2万人を超える卒業生の家族を前に、ケネディスクールの同級生であるJon Muradは、時にユーモアを交えながら、大学全体の卒業生代表のスピーチを堂々と行った。

ハーバードの学部を卒業し、民間のビジネスを経験した後に、32歳でニューヨーク市警の警察官に転職したJonは、犯人から首を絞められないためにクリップ・オン・タイ(ボタンで留める形式のネクタイ)を使っているような、まさに現場の警察官である。スピーチのタイトルも「クリップ・オン・タイに敬意を表して」であった。

Jonは一見社会的成功とは別世界の銃弾飛び交う現場の第一線で働いていることに、強い自尊心を感じている。著名大学を卒業して得た「札束」ではなく、社会を守り、前進させている責任感こそが、世俗にまみれた堕落したイギリスを、命懸けで脱出した清教徒が幾多の苦難の末に作り上げた理念国家アメリカ、そしてハーバードの原点であると感じた。

 

このスピーチは鳴り止まないスタンディングオベーションで締めくくられ、卒業生、教職員共に大変好評であった。

 

一方で、大学の在り方自体についての自戒と、現状に対するアンチテーゼも含まれていることは看過できない。逆説的に言えば、これまで多くの卒業生が、設立当初の理念を忘れ、経済的利益や、表面的な社会的成功に奔走する余り、現場で地道により良い社会を作っていく努力を怠ってきたという反省が含まれているとも言える。

学校運営上は、卒業生が政治家や科学者、経営者として社会的な成功を積み上げていくことは学生募集や寄付金収入の観点で極めて重要である一方で、設立当初の理念を忘れて私利私欲のための競争に勝ち抜いたとしても、ソフトパワーを発揮することはできない。中長期的に見れば大学のプレステージを維持できないという危機意識が常に背景にある。

 

アメリカは民族や伝統文化といった、それ以外の古代国家が発展する形で形成された国家がアイデンティティの中核にしているものがない。あるいは、少なくとも民族、伝統文化、あるいは言語ですら、単一のものを声高にアイデンティティとして主張できる空気感にない。例えば、英語はアメリカの共通言語である一方で、増え続けるヒスパニックの移民を考慮して、スペイン語の表記、テレビ番組もコミュニケーション手段としてより寛容的に受け入れられている。

人工的な国家ともいえるアメリカの中核にあるアイデンティティは、Jonのスピーチに代表されるパブリックマインド(自己犠牲の精神)ではないだろうか。アメリカにおける軍人、警察官、消防士等の命を落とす危険を伴いながらも、社会の安定、発展のために奉仕している職業人に対する尊敬の念は、日本のそれとは比較にならない程大きいと感じる。

Jonの言葉を借りれば、給料も安く、強大な職権を持っている訳でもない現場の警察官であるJon。一方で、今回の卒業生の中には、既に社会的に成功している人々もたくさんいる。投資銀行のマネージングディレクターも、大企業の経営者もいる。しかし彼の自己犠牲の精神に大学側はリーダーシップの本質を見出し、敢えて卒業生代表のスピーチを任せたのではないかと感じている。

少なくとも彼のスピーチを聞いて、自然と立ち上がり、スタンディングオベーションに加わっている自分がいた。旧習や世俗権威の堕落を、パブリックマインドある人々が常にあるべき形に軌道修正してきた自負と自尊心が、歴史の短いこの国をソフトパワーのパワーハウスにしていると感じている。

 

 > このブログの記事一覧へリンク