ハーバード留学/研究員記録

純国産(純ドメ)の日本男児。 総合商社でアメリカ、中国の投資の仕事をしてきた後、 ビジネスと政治経済の融合を目指してハーバード大学ケネディスクール(Harvard Kennedy School)に留学。 修士課程を卒業した後、現在は同大学の研究員として中国にて現地調査中。 アメリカや中国で感じることについて書いていきます。

純粋ドメスティックが考えるグローバル人材(2)

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(2) SpeakingをWritingで補うことの優位性

前回の投稿では純ドメとして語学力を最大限生かす方法として、SpeakingをWritingで補う方法について、筆者自身の実体験をもとにご紹介した。

更に付け加えて申し上げると、Writingであれば数年の訓練で、平均的なネイティブを凌駕する文章を書く資質を日本人は持っていると感じている。論理的な文章を書くためには言語能力だけでなく、知力が必要となるため、ネイティブなら全員できるというものでもない。筆者の実体験としても、文法や論理構成が破綻している英文を書くネイティブを何人も知っている。

更に純然たる外国語のWriting能力だけではない。一般に日本人は資料の作成が細かく、ビジュアルセンスも外国人よりも高いように感じる。「三井物産筆頭常務 安川雄之助の生涯 (2)」でご紹介した通り、明治時代から日本人の秀でた国民性として「知力」、「器用さ」、「精神統一の特有性(集中力)」が挙げられていた。現在においても、日本人のガンコ職人としての強さは変わらないのではないかと感じる。

「SpeakingをWritingで補うというが、Speakingで勝負が決まる場面はどうするのか?」とご指摘を受けるかも知れない。その場合でも、筆者としては結局はWriting力をベースとした入念で緻密で抜かりのない準備が、Speaking本番でも生きて、結果として勝利の確率を高めると感じている。

実はこれは日本人だけの問題ではない。「ハーバードの優等生達」でご紹介した通り、できるネイティブは、ネイティブであってもこうした用意周到な準備の上でSpeakingの本番に臨み、アドリブに見えるかのような当意即妙な受け応えで評価を勝ち取っている。ネイティブですらそうなので、日本人としては更なる用意周到さで勝負の場に臨みたい。その方法論において、日本人は卓越した潜在能力を持っていると思う。

やや話が逸れるが、SpeakingをWritingで補う観点でもう一つエピソードをご紹介したい。筆者とFacebookで繋がっていない方は唐突に感じられたと思うものの、このグローバル人材の投稿の前の4回の投稿は英語と中国語で実験的に投稿してみた。どちらも筆者のFacebookの友人(外国人の多くはハーバード関係者)に送付したところ、非常に興味深い結果となった。

少なくとも英語投稿一回目の「ASK WHAT YOU CAN DO」と、中国語の投稿「我和中国 (1)」は、どちらも筆者の個人的な思いや体験を語っており、内容に大差がなく比較に耐え得ると思うものの、英語の投稿には反応が極めて薄く、中国語の反応には非常に強い反応があった。筆者のFacebook上の友達は、圧倒的に英語話者が多く、中国語話者が少ないにも関わらずである。

これは日本人にも当てはまると思う。英語以外の母国語(例えば中国語)で語り掛けてくる外国人に対して、好意的に感じている証拠ではないかと思う。一方で、英語は世界言語と化しているため、「できて当たり前」という風情でネイティブも受け取るため、余程の内容でない限りは注目してこない。英語ネイティブが傲慢だといえば、そうかも知れないが、少なくとも圧倒的に情報量の多い「英語ワールド」で一歩リードすることは容易ではない反面、「第二外国語ワールド」で外国人として歓待を受ける可能性が非常に高いのではないかと感じている。

筆者としては他言語と比較した際の英語の有用性は圧倒的と感じており、最初に学ぶ外国語としては間違いなく英語だと思うものの、それにプラスして例えば話者の多い中国語、スペイン語、ポルトガル語、インドネシア語、ロシア語など、第二言語を習得することは、習得コストと比較したリターンの観点でコストパフォーマンスが良いように感じている。


以下、「純粋ドメスティックが考えるグローバル人材(3)」へ続く。 

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