ハーバード留学/研究員記録

純国産(純ドメ)の日本男児。 総合商社でアメリカ、中国の投資の仕事をしてきた後、 ビジネスと政治経済の融合を目指してハーバード大学ケネディスクール(Harvard Kennedy School)に留学。 修士課程を卒業した後、現在は同大学の研究員として中国にて現地調査中。 アメリカや中国で感じることについて書いていきます。

ハーバード研究員が見たリアル・チャイナ (4)

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温州は海沿いの街であり、名物料理は海鮮(シーフード)。地元の名士に紹介して貰った、「安くてうまい」海鮮料理屋で夕食を取ることにした。確かに安いが、これぞ中国という風情の店。イケスに入った魚介類を選ぶと、店員がその場で調理して持って来てくれる。

写真の一番右端はシャコ。「これは日本ではシャコと呼んでいますよ」と話掛けると、店員が言うにはなんと温州では、「シャク」と呼ぶと言う。どうも異様に発音が似ている、、、ホテルに戻った後にネットで調べてみると、熊本県ではシャコではなく「シャク」と呼ぶようである。やはり、倭寇時代からの交流の証だろうか、こうした意外な共通性が妙な親近感を呼ぶ。

 

ところで温州経済の話に戻すが、中国はまさに日本を初めとした成功した国の事例を参考にしながら、1979年改革開放政策以来、ひた走りに貧困国からの脱却を進めてきた。

中国の中央集権的な政策は、政府が強力な権力を持ち、銀行と重工長大の主力産業を「直下の子会社」に置くことで、一糸乱れぬ計画経済を実現し、資源開発を進め、鉄鋼生産力を増強し、国内のインフラを整備して、労働力を吸収し輸出に耐え得る製品のための工場を次々に建設してきた。

必然的に国家を支えるブレーンたちは、政治家や官僚を目指し、集まる俊英たちによって政府権力はますます強力になるという好循環を生み出してきた。

鄧小平研究の第一人者であるハーバード大学エズラ・ボーゲル先生に教わったところでは、中国の改革開放政策のモデルとしたのは、ソ連成立期にレーニンが取り組んだ新経済政策(通称NEP)とのことである。実際に鄧小平は若い頃にNEP実行中のソ連を訪れており、インスピレーションを受けた可能性は高い。

現在一般に理解されている「ソ連」のイメージは、スターリン時代以降の軍事独裁体制であり、スターリン以前の短い期間は、共産主義を国是としながら、NEPによって市場機能の活用を目指すなど、現実的な政策が採られていた。

一方で、同じくハーバード大学の主任研究員であるWilliam Overholt氏は、改革開放のモデルは自民党時代の「55年体制」と分析している。これは別の言葉で「1940年体制」とも呼ばれている経済システムで、ひとつの政党による安定した統治が非常に長い期間続き、政策の連続性を保ちながら、強い国家権力によってメリハリのある経済政策を採ることができた。

鄧小平は改革開放を始める時点で日本を訪れ、新幹線などの日本の当時の最新技術を目の当たりにして、中国の改革必要性を痛感したようなので、「日本」を手本としたという見方も成り立ちうる。

この両方の分析を組み合わせると、ソ連のNEP、日本の55年体制、中国の改革開放政策が、非常に類似した経済政策であるという見方に至る。日本を「最も成功した社会主義の国」と表現する専門家もいるように、後発国として取り得る選択肢は限られているはずで、政治体制の違いはあるものの経済政策という点では、中国は、共産主義の先輩格のソ連が実現できなかった豊かさ、そして同じアジア人の日本が実現できた豊かさを目指しているといえる。



前回の投稿で、棚上げにしていた温州のネガティブな側面についてご紹介したいと思う。前述の通り、温州商人はその類稀なる起業家精神で海外貿易によって富を築き、その財力と持ち前のリスク投資精神を持って、上海を初めとした中国大都市のマンションを片っ端から買い漁っていった。

マンションは購入後、市況を見ながら数年で売却される。中国経済の順調な成長により、マンション価格は右肩上がりの上昇を続け、温州人たちはマンション転がしで巨万の富を得た。当初は財力のある成功した企業家によるマンション投資であったものの、噂が噂を呼び、あまり財力のない温州人までがマンション投資競争に参戦することになる。彼らは成功者と異なり自己資金が十分にある訳ではなく、銀行が金を貸してくれる訳でもない。金を借りる先はアンダーグラウンドの高利貸し業者ということになる。

結果的に温州は正規の銀行ルートの融資ではなく、それ以外のいわゆる「シャドーバンキング」による融資が横行する街となった。人々はマンションの値上がりを期待して、無理な借り入れを行い、規制されていない高利貸し業者も無節操に高金利で金を貸し続けていった。日本の1980年代の不動産バブル、あるいはアメリカの2000年代のサブプライムバブルに似た状況が中国で発生し、その先頭に立っていたのは温州人であったというのが、多くの人々から聞かれた話であった。


以下、「ハーバード研究員が見たリアル・チャイナ (5)」へ続く。

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