ハーバード留学/研究員記録

純国産(純ドメ)の日本男児。 総合商社でアメリカ、中国の投資の仕事をしてきた後、 ビジネスと政治経済の融合を目指してハーバード大学ケネディスクール(Harvard Kennedy School)に留学。 修士課程を卒業した後、現在は同大学の研究員として中国にて現地調査中。 アメリカや中国で感じることについて書いていきます。

リアル・チャイナとジオポリティクス(4)

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ボストンの冬はとにかく降雪量が多かった。ただ「除雪のインフラ」も素晴らしく、夜中に大量に降った雪も、早朝に除雪車が主要な道路を除雪してくれるため、通学時間には自転車で通うことができた。それでも氷点下10度前後の中での自転車通学は、拷問のように辛かった。ヒートテックを二枚重ねで厳重な重装備の上、意を決してチェーンを外し、自転車に跨ったのを覚えている。


とある寒空の冬の日、筆者は一通のメールを中国政府の高官から受信した。メールの内容は懇親会をするので一緒に参加しないか、というものであった。

場所は学生寮から自転車で片道30分ほどの場所のようだ。お誘いはとても有り難いと感じた一方で、正直、この猛烈に寒い中、自転車で駆け付けるのは勇気が要った。

しばし考えた後に「喜んで参加します」と返信を打った。わざわざ声を掛けてくれるというのは、どういった趣旨なのだろうか、と考え巡らせながら当日を迎えた。やはり会場までの片道30分の道は、過酷な行程となった。寒風吹きすさぶ中、顔面が凍結し、表情がみるみる無表情になっていった。なにしろ笑おうとしても、顔面の筋肉が硬直してうまく笑えない。

会場は地元の中華料理屋であった、中国本土さながらにターンテーブルが置かれ、その周囲を参加者が取り囲んでいた。人数は15人から20人ほどいたと思う。上座には筆者の親しくしていた高官の方々が数人座っていた。自分だけが日本人で、他は全員中国人だったが、数名を除いて誰も面識がなかった。正直、かなりのアウェー感である。


高官の方から、「あなたはこの席だ」と指定された席に着席した。周囲の中国人と話をしてみると、どうもハーバードだけではなさそうで、お隣のマサチューセッツ工科大学(MIT)や、他のボストン近辺の中国人も含まれているようだ。

筆者が「日本人だ」と伝えると、分かり易く表情が引きつった人もいた。なにしろタイミングがタイミング(尖閣暴動の約3か月後)なだけに、ある意味自然な反応だと思ったが、もしかすると寒空の自転車で顔面が引きつった筆者に合わせてくれただけかも知れない、と好意的に受け取っておいた。


会は全て中国語で行われた。筆者も中国語を猛勉強中の時期だったので、大方話されている内容は理解できた。しばらく高官の方から中国経済や、アメリカの技術革新についての話がなされ、参加者は皆、基本黙々と聞いているが、たまに参加者が意を決して発言をして、「そう、その通り」、あるいは「どうだろうか、例えばこういう視点もある」と高官が合いの手を入れるといった具合だった。

筆者も日本の組織における、「エライ人との会食」の経験が比較的多いため、日本と中国といっても、こういった場の進め方はとても似ているものだな、などと考えていた。

なんというか、アメリカ人がズバッと斬新な視点の意見をいうことが評価される雰囲気である一方で、日本や中国の場合は、エライ人が言ったことを基本的には全面肯定しながらも、それに付加的な情報を言い添えたり、あるいは多少「おまえ、分かってないなぁ」と言って貰うような可愛げを示すようなスタンスが評価されるという感じだろうか。

空気を読む、あるいは聞いている相手が期待するような答えをしていくという目標自体は共通ながらも、そのゲームのルールはアメリカとは異なり、日本とは似ていると感じる。


そこへ中国人女性参加者のひとりと共に、その友人と称するアメリカ人女性が入ってきた。彼女は、筆者でも分かるぐらい中国語はそんなに得意そうではなかったが、場に合わせて中国語を一生懸命に話し、「一般のアメリカ人は中国を良く分かっていないけど、私は中国のことを良く知っているし、大好きなのよ」と自己紹介した。


ここで突然高官が立ち上がり、思わぬ言葉を口にした。「実は日本人の〇〇(筆者のファーストネーム)から、今日はひとつ発表がある、みんなに聞いて欲しい。」


ターンテーブルを取り囲む中国人が、一斉に筆者に振り返った。「え?何のこと?」寒空の自転車で顔面が硬直していた筆者は、この発言を聞き完全に表情が凍りついた。


以下、「リアル・チャイナとジオポリティクス(5)」へ続く。


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