ハーバード留学/研究員記録

純国産(純ドメ)の日本男児。 総合商社でアメリカ、中国の投資の仕事をしてきた後、 ビジネスと政治経済の融合を目指してハーバード大学ケネディスクール(Harvard Kennedy School)に留学。 修士課程を卒業した後、現在は同大学の研究員として中国にて現地調査中。 アメリカや中国で感じることについて書いていきます。

リアル・チャイナとジオポリティクス(7)

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 「ナンキン初め、日本が中国で犯した多くの罪は、永久に忘れ去られることはないし、中国人は日本人を許すことはないでしょう」、、、言い切ったアメリカ人女性の言葉が響き渡る懇親会の会場。なんとも言えない険悪な空気が、参加者全員を包んだ。


筆者は咄嗟に反論の文案を思い付いた。「恐縮ながら申し上げますが、あなたのご意見はこの場や、私のプレゼンの趣旨から考えて適切ではないと思います。そういった過去の暗い歴史を超えていき、前向きな未来を語るのが申し上げたい趣旨であり、、、」

しかし喉元まで出かかって、この発言を止めることにした。きっと彼女は好戦的な最初の発言からも判断される通り、ディベート好きなのであろう。テーマから考えても1往復や2往復の意見の言い合いで、議論が簡単に収束するとは思えない。

また、いくら筆者が「戦争は悲惨です。多くの日本人もアメリカ軍の爆撃で死んでいます。私の家族もアメリカ軍に殺されていますが、それはどう思いますか?」などと問い掛けたところで、悪の枢軸日本が勝手に始めた戦争を、アメリカと中国が共同戦線で叩き潰したまでで、日本人死者は当然の報いという、善悪二元論に基づく「正義の聖戦理論」で押し切ってくるだろうことは容易に想像がついた。

そもそも今自分が語り掛けるべき対象は、この場にいる「中国人」であり、日本と中国の未来を語る場には、ナンキンのキーワードはあまりに重過ぎる。どう見ても状況からして、生産的な方向に持って行けるとは思えなかった。こうした逡巡を経て、筆者は断腸の思いで沈黙を貫くことにした。


重苦しい空気がしばらく漂う中、高官の方が「勉強になったプレゼンだったね。ではそろそろ別の話題に移ろうか」と切り出し、話題は筆者のプレゼンから、別の参加者の発表に移っていった。
「お疲れ様」と拍手される訳でもなく、「良いプレゼンだったよ」と褒められる訳でもなく、なんとも後味の悪い空気の中、針のムシロ状態で、出される中華料理を食べながら、他の参加者のソフトなテーマの発表を聞いていた。食べた気のしない食事とはこのことである。

例のアメリカ人女性は、あらゆるテーマについて「中国通」を強調し、自分がどれほど「中国好き」かを節度なくアピールしていたのには、正直閉口した。



1時間半ほどして会が終わり、皆が席を立って店の入口に向かって歩き始めた。「思いを遂げてプレゼンは果たしたが、ヤレヤレとんでもない場に来てしまった、、、」と、この場に来たことを後悔しながら、疲れ切った重い体を起こして席を立った。

ほとんどの参加者は筆者に目もくれず談笑しながら歩いていく中で、3、4人の中国人が筆者のところに近寄ってきた。まさかプレゼン内容に文句があって、わざわざ言いに来たのだろうか、と身構えてしまった。彼らが口にした言葉は忘れられない。


「とても良いプレゼンでした。中国に思い入れをもってくれること、とても嬉しく思います。あなたのプレゼンの通りです。歴史上、中国は日本から本当に多くのことを学んできましたし、これからも大いに学んでいかなければならないと思っています。似た文化を持つ両国が協力していく方法こそ、考えていくべきものであり、現在起きている対立は本当に残念です。」

他の中国人が続ける。「日本のこと、いろいろ教えて下さい。あなたが中国のことが知りたいときには、できる限りサポートします」 

正直、予想もしていなかった発言に、ただただ驚くと共に、とても嬉しい気持ちが湧いてきた。沈黙して発言しなかったとしても、プレゼンの趣旨を理解して、共感してくれる中国人がいたのである。しかし同時に、「なんでさっきアメリカ人が言いたい放題の時に、援護射撃してくれなかったんだよ、、、」という気持ちも湧いてきた。


この中国人3、4人と連絡先を交換しながら、談笑しながら店の入口を出ると、先に店を出ていた高官がこちらに近付いてきた。高官は、「〇〇(筆者のファーストネーム)、今日は寒い中来てくれて本当にありがとう。とても素晴らしいプレゼンだったと思う。みんなに聞いて欲しかったから急に話を振ったけど、うまく対応してくれてとても感謝している」と言いながら、筆者に握手を求めてきた。寒空のボストンで、固い握手を交わした。

高官の周囲を取り巻く中国人参加者たちは(そして筆者も)、その瞬間初めて筆者が「歓迎すべき客人」で、敢えてそれを最後まで明示しない状態で、各人が「難しいテーマ」に対して、どう発言するかをテストされている場であったことを痛感したことだろう。

 

以下、「リアル・チャイナとジオポリティクス(8)」へ続く。

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