ハーバード留学/研究員記録

純国産(純ドメ)の日本男児。 総合商社でアメリカ、中国の投資の仕事をしてきた後、 ビジネスと政治経済の融合を目指してハーバード大学ケネディスクール(Harvard Kennedy School)に留学。 修士課程を卒業した後、現在は同大学の研究員として中国にて現地調査中。 アメリカや中国で感じることについて書いていきます。

意外?「ジャパン(Japan)」は、もともと中国語、、、

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以前の投稿「オモシロキコトモナキ英語ヲ、オモシロク」では、日米中3か国語を学ぶ中でのオモシロキコトとして、「侵略(invasion)」と「国際連合(United Nations)」を例に挙げて、翻訳の過程で発生するギャップについてご紹介した。

 

ところで筆者は、昔から「なぜ日本は英語でジャパン(Japan)なのだろう?」と疑問に感じていた。日本を、ニホンと読んでも、ニッポンと読んでも、あるいはヤマトと読んでも、「ジャパン」という発音にはほど遠い。この疑問は、ハーバードの中国語の授業(いわゆる日本で言う語学)を受講している際にたまたま氷解した。

日本を中国語で読むと、「リーベン」と「ジーベン」の間ぐらいの発音である。実は中国語で「日」という発音は日本人にはとても難しい、中国語特有の発音である。また中国は地域毎の方言のギャップが極めて大きく、「本」の字を「ベン」と「ペン」の間ぐらいの音で発音する地域もある。

あるとき日本を「ジーペン」と呼ぶ中国人に遭遇した。その時「ジパン」あるいは「ジパン(グ)」と聞こえたのである。この瞬間「日本」→「リーベン」→「ジパン」→「ジパング」と変化したのではないかという直感が沸いてきた。

 

調べてみたところ、この直感は正しかった。14世紀、日本の存在を西洋社会に初めて伝えたのは、東方見聞録で有名なマルコポーロ。「黄金の国ジパング」として紹介された。このマルコポーロは行程15,000キロを旅して中国に達し、中国人から日本のことを耳にして東方見聞録を書き記している。実際にマルコポーロは日本には来たことはない。

マルコポーロがイタリア語で「ジパング(Zipangu)」と表現した日本は、その後英語に翻訳される際に「ジャパン(Japan)」となったようである。イタリア語からではなく、ポルトガル語から英語に翻訳されたとの説もあるようだが、いずれにしてもジャパンのもともとの発音は、中国語の「リーベン」から来ていることは確実のようだ。

 

もしもマルコポーロが日本まで辿り着いていたとしたら、「ニッポン」あるいは「ヤマト」という発音を耳にしていたはずであり、東方見聞録にはジパングと記載されなかったかもしれない。もしそうなっていたら、日本人は「ジャパニーズ」ではなく、「ニッポニーズ」あるいは「ヤマトニーズ」になっていたかも知れない。

 

オモシロキコトモナキ語学ヲ、オモシロク。