ハーバード留学/研究員記録

純国産(純ドメ)の日本男児。 総合商社でアメリカ、中国の投資の仕事をしてきた後、 ビジネスと政治経済の融合を目指してハーバード大学ケネディスクール(Harvard Kennedy School)に留学。 修士課程を卒業した後、現在は同大学の研究員として中国にて現地調査中。 アメリカや中国で感じることについて書いていきます。

ハーバードの最強語学プログラム (5)

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気が付くと、「倍返し」を誓ってから試行錯誤を続けながら、毎日夜中の2時、3時まで中国語と格闘して4か月余りが過ぎていた。最初は暗中模索の日々であったが、次第に自分でも実感できるほどに、中国語は上達していった。

相変わらずしばらくは一人シニア学生として、若い大学生のキャッキャ話す輪の中に入らず、孤独を楽しんで、、、いや、結構つらかった。ある日、例のマシンガン質問に筆者が銃殺寸前まで追い込まれている時、隣に座っていたイケメンが「答えは、〇×ですよ」と耳打ちしてきた。すげぇいい奴じゃないか、と思った。それ以来イケメンとは年齢を超えた友人になれた。

ビルゲイツのキャラクターも分かってきた。ビジュアル面から薄々感じてはいたが、かなりの奥手なアメリカ人だったのである。アメリカ人がみな陽気に「ヘイメン、ワザップ?」と声を掛けて来る訳ではないのだ。どうしてもファイナルファイトや、ビバリーヒルズ高校白書でアメリカを学んだ世代としては、こういった先入観を捨てることは難しい。 

遂にイケメンやビルゲイツ、女子学生達と一緒に、教室で談笑できるほどにクラスにも溶け込めるようになっていた。気が付くと休日に、女子大学生2人と女子好みのオシャレ喫茶店で、中国語のグループワークの準備に、楽しく取り組んでいる自分がいた。

 

インストラクターや、チューターは大変熱心に指導してくれたと思う。特にチューターは中国語を良く聞き取れない筆者の状況を見て、根気良くゆっくり話して、筆者の話を良く聞いてくれた。二人のサポートがなければ、4か月間走り切ることは不可能だったと思う。

ハーバードの語学プログラムは最強か?という質問に対する答えは、YESだと思う。ただそれは、誰もが知らない奇抜な方法論がある訳ではなく、愚直に毎日地道な努力を続けられるようなシステムとサポート体制が整っていること、これに集約されると思う。ティーチングというよりは、コーチングの仕組み。学生自身が本来持っている競争心、向上心、達成意欲を引き出す仕組みだ。

 

最後に、上級ビジネス中国語の授業期間を挟んだ、半年の修行僧生活のアウトプットとして、プレゼンテーションを中国語で作成して発表した。折しも尖閣国有化騒動の3カ月後で、日中関係が非常に緊迫しているタイミングであったので、中華圏の国父・孫文を引き合いに出して、日中関係についてのプレゼンを中国語クラスの仲間や、他にハーバードに留学に来ている中国政府高官、派遣研究員に対して行った。(以下、要点抜粋)

 

即便在意日本和中国两国之间存在着一段不友好的历史、但是老百姓所不知道的两国之间合作过的历史仍有很多。比如说、中国人都知道孙中山是中国的”国父”、 因为他结束了清王朝和开始近代中国。 很多人都不知道日本带给孙中山的成功有哪些影响。

【和訳】日中両国には一時期良くない歴史があったことは事実であるものの、両国の協力の歴史が多いことはあまり知られていない。例えば、中国人に清朝を打倒した国父として扱われている孫中山孫文)は、多くの日本人の支援者がいたことで成功している。


打败最初的反清运动以后、孙中山躲起来在东京准备再一次的革命。 实不相瞒、很多日本人帮助过孙中山继续搞运动。 最主要是梅屋庄吉。 梅屋傾其家財给孙中山很多运动资金和重要的人际关系。 为什么日本人帮助中国的革命? 因为有的人在议论说日本和别的亚洲国家合作一起建立亚洲人的民主国家。 孙中山跟日本的女人结了婚生了孩子

【和訳】最初の反清運動に失敗した後、孫文は東京に亡命し再起を図った。多くの日本人が孫文の活動を支援したが、最大の支援者は梅屋庄吉である。梅谷は家計を傾けてまで孫文に多額の活動資金を渡し人脈を紹介し、孫文辛亥革命を支援した。なぜ日本人が中国の革命を支援したのか?それは日本とアジアの国々は、協力してアジア人のための民主国家を作ろうとしたからである。尚、孫文には日本人妻がおり、その間には日本人の子供も生まれている。

 

一千年以前、两个社会的精英已经互相交流了很多。 在日本、 如果高中生想上好的国内大学、 中国古代汉文的测验成绩重要。在两国交流的悠久历史上、日本人从中国学习了很多技术和思维方式。 对两个国家来说、 重要的是没有局限于眼前利益、而是重新好好学习古人的文化交流经验、继续发展两国的良好合作关系。
【和訳】1000年以上に渡って両国のリーダーたちは相互の交流を行ってきた。日本では今でも高校生が良い大学に進学する際には中国古典(漢文)の成績が重要である。両国にとって重要なことは、目先の利益に捕らわれることなく、先人達の進めた文化交流を更に進め、両国の友好な協力関係を維持していくことである。



このプレゼンを聞いた中国政府の高官から「孫文がそんなに日本人の支援を受けていたとは驚いた」、「そういえば改革開放の後も、日本企業が真っ先に来てくれて、中国の発展に貢献してくれた」とコメントを頂いた。日本語ではなく、英語でもなく、彼らの母国語で語り掛けた効果は大きかったと思う。

インストラクターからも「あなたのプレゼンとても良かったわ」と言って貰えた。倍返しどころか、半返しもできたか分からないが、振り返ってみれば(いや、あまり詳細には振り返りたくはないが、、、)とても有意義な経験となった。

中国語ができるようになったのもさることながら、アメリカの優等生達との切磋琢磨を通じて、彼らのメンタリティや、課題に挑戦するスタンスを、机を並べて実体験から学べたことは、非常に大きい収穫になった。

「いやぁあんまり根気良くできなかったんだけど、なんか運良くうまくいっちゃったんだよねぇ」と言っている時には、それを額面通り受け取ってはいけない。そう言いながら、ある種謙遜しながらも、人の見ていないところでバット素振り100回やっていたりするような連中なのである。

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