ハーバード留学/研究員記録

純国産(純ドメ)の日本男児。 総合商社でアメリカ、中国の投資の仕事をしてきた後、 ビジネスと政治経済の融合を目指してハーバード大学ケネディスクール(Harvard Kennedy School)に留学。 修士課程を卒業した後、現在は同大学の研究員として中国にて現地調査中。 アメリカや中国で感じることについて書いていきます。

ハーバード研究員が見たリアル・チャイナ (2)

f:id:madeinjapan13:20131011104232j:plain

倭寇の歴史も大きく影響していると推測できるが、温州は中国のユダヤ人と通称される「温州商人」の出身地である。実は日本を初め外国に来ている中国人は、その非常に多くが、温州を初めとして上海から南に1000キロほどの沿岸部(浙江省、福建省、広東省)の出身者である。

温州商人は中でも国際的に成功した中国人、としてブランドイメージを確立しており、故に「中国のユダヤ人」と通称されている。通常は地元意識の強い中国人の中で、温州人の移住意欲は尋常ではなく、温州以外の中国本土に150万人の「温州人」が居住し、アメリカやフランスなどの欧米中心に海外にも40万人の「温州人」が住んで現地でレストランや貿易業に従事している。本来は地元意識が強い中国人の中で、世界中に広がるネットワークを持っていることが温州人を非常に特殊な存在とさせている理由である。

 

温州で多くの温州人と語る機会を得た。彼らはみな、国際感覚を最も持っている中国人であることを非常にプライドに感じている。多くの人が口にしたのは、中国政府が温州を見捨てたから、自分達は強くなれた、という言葉だった。

温州を初め、前述の上海以南の沿岸部は台湾の対岸に位置する。実際に1950年代以降、国共内戦に勝利した中国共産党は、台湾の国民党との最終決戦に備えて、仮に攻撃をされても国力低下に繋がらないように、意図的に温州へのインフラ投資を手控えている。他の地域には、軍需産業や巨大国有企業が設立され、地域で雇用が生まれ、経済が国家主導で発展した経緯がある一方で、温州や 福建省などの地域は、長い間、国のサポートを受けられず、結果非常に貧しい経済状況に追い込まれた。

この逆境の中、温州人たちは持ち前の国際貿易の知見を生かし、国に頼らない自活の道を進んでいく。自分たちで民間企業を作り、産業を興し、安い労働力で作られた商品を世界中の温州人ネットワークで売りさばくことで、商業的に最も成功することができた。日本人が好きな「100円ショップ」で売られている小物の多くは、温州などのこういった地域で作られているものが多い。また中国の有力な民営企業が温州を初め浙江省に多く存在する理由は、こうした歴史的な経緯に由来している。

街のいたるところを見て回ると、無数の中小工場が存在している。上に掲載した写真はそのひとつで、革カバンの装飾品を作っている。温州人の多くが、早く自分の会社を興し、一生懸命ビジネスに励み、願わくば海外と貿易をして金を稼いで、できれば子供は海外の大学に進学させたいと考えている。温州人は最も起業家精神を持つ中国人なのである。


そんなことを考えながらタクシーに乗り込むと、かつて経験したことのないほどのラフな運転。前を走る車(そこそこスピードが出ている)を、無理やり反対車線に出てまで抜き去ろうとしている。首都高バトルを彷彿とさせる運転、生命のリスクが頭をよぎる、、、

隣に座る上海人学生が言う、「上海では停車中もメーターが回りますが、温州では停車中はメーターが回りません。それなので、運転手は一秒でも早く目的地につこうと努力しています。」、、、そりゃ、サービス供給者側の論理であって、俺たち客にはいい迷惑だろ、と言ってみたところで、そこは郷に入れば郷に従え、どのタクシーに乗っても結局は同じ。「うぉ、死ぬかも」という瞬間を何度か経験しながら、一応タクシーは無事に目的地に到着してくれる。

これは単なる偶然ではないかも知れない。温州のタクシーの荒さは、もう一つの温州人のメンタリティを象徴している。それはリスキーな投資が大好きという点である。国際貿易で多くの財産を築いた温州人は、次第に中国国内外の不動産への投資にのめり込んでいく。

貧乏な家の息子が、最初は簡単な衣料品会社を興し、海外相手に儲けた金で、温州や上海などのマンションに投資をし、数年後に次々転売することで巨万の富を築く、こうしたサクセスストーリーが最も成功した温州人の姿である。街中では、街の規模と不釣り合いなほど、ポルシェやベンツの最高級車が走り回っている。この街には知恵と努力で、成り上がれるチャンスと自由がある、そう感じさせる街なのである。

 

以下、「ハーバード研究員が見たリアル・チャイナ (3)」へ続く。

> このブログの記事一覧へリンク