ハーバード留学/研究員記録

純国産(純ドメ)の日本男児。 総合商社でアメリカ、中国の投資の仕事をしてきた後、 ビジネスと政治経済の融合を目指してハーバード大学ケネディスクール(Harvard Kennedy School)に留学。 修士課程を卒業した後、現在は同大学の研究員として中国にて現地調査中。 アメリカや中国で感じることについて書いていきます。

早稲田大学に見る日本の未来(2)

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居並ぶ40~50人の早稲田の大学生。真剣な眼差し。依頼主K君から「おまえの生き様を語ってくれ」と言われているので、完全白紙のキャンバス状態、、、完全フリーな反面、テーマが決まっている中で原稿棒読みするよりも、遥かにハードル高く感じます。


どうしても伝えたかったこと、それは「日本が海外に挑戦する意味」です。

日本には資源がない。明治維新期には科学技術、軍事力、経済力すべてにおいて、欧米よりも遥かに劣後していた。リソースがない中で、奇跡的に豊かな国を作ってこれたこと、そしてその背景には、有名無名を問わず数多くの「海外に挑戦してきた先輩たち」がいたこと、これだけはどうしても伝えたかった。

海外は生活も不便で、ストレスも多い。でも、だからといってもしも日本から誰も海外に出たがらなかったら、いま日本はどうなっていただろうか?考えるだけでもゾッとする。

海に隔絶された日本にとって、「海外に挑戦する」のは、かっこいいからとか、すごいからやるというレベルではなく、日本が生き抜くために必要不可欠な基本動作だと思っています。そういった観点で、今まで死ぬ思いで海外に挑戦し、国を良くしてきた先輩たちに深い尊敬の念を感じています。


また海外に挑戦するならば、「英語(語学)に正面から向き合って欲しい」、あるいは「語学力がなければスタートラインにすら立てない」と伝えました。この点、厳しいコメントと受け取られた方もいたようですが、これも筆者の強く信じるところです。

以前の投稿「純粋ドメスティックが考えるグローバル人材(1) リンク参照」でも申し上げた通り、耳触りの良い言葉を排除して、リアリティに迫れば、海外での挑戦において、気合いや人間力で乗り切るには限界があります。

ビジネスレベルの語学力が最低限なければ、海外で成功体験を積むことは不可能と感じます。語学は「解脱を目指す修行僧」のようなプロセスでもあり、中途半端な精神力で体得できるものではないですが、たとえば自分自身がひとつのサンプルになりますが、純国産であっても充分ビジネスレベルに持ってくることは可能です。

筆者の英語勉強法は、「体験的TOEFL(英語)学習法 リンク参照」にまとめましたが、最適な方法論で、世にいう一流になるための「10000時間の壁」を突破すること、その苦労からは逃げないことが大切だと実感しています。



会終了後に、「自分は国内のテーマを深堀りしたいと考えていますが、それでも海外経験が必要ですか?」と質問を頂きました。あるいはK君からも冗談半分に「俺も今日の話を聞いて、語学とかやらなきゃなって思ったよ」と会の後に言われましたが、筆者の考えは日本のすべての人々がビジネスレベルの英語を使いこなすべき、というものではありません。

むしろ国内に取り組むべき課題は多く、たとえばK君のように日本の企業と、日本の大学を結びつける仕事は、これはこれで非常に重要です。そういったプロの方々にとっては、国内の状況を把握し、関係する国内の人脈を開拓することを優先すべきで、英語や海外への挑戦は優先順位が低いと思います。要は役割分担だと感じています。

冒頭の話に戻すと、誰もが海外に挑戦しなくなってしまえば、日本の発展は止まり、衰退の道をたどるとの危機感があります。

自分自身、これまでの先輩たちからのバトンを受け取り、自分なりに毎日格闘している訳ですが、このバトンを連綿と未来に繋げていかなければならないという強い使命感を感じています。その意味で、自分よりも若い世代の中からも、日本を背負って海外に挑戦してくれる大志ある人々が出てきて欲しいと思っています。(勧誘活動です、、、笑)

 

以下、「早稲田大学に見る日本の未来(3)」へ続く。

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