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ハーバード留学/研究員記録

純国産(純ドメ)の日本男児。 総合商社でアメリカ、中国の投資の仕事をしてきた後、 ビジネスと政治経済の融合を目指してハーバード大学ケネディスクール(Harvard Kennedy School)に留学。 修士課程を卒業した後、現在は同大学の研究員として中国にて現地調査中。 アメリカや中国で感じることについて書いていきます。

ケネディスクールで語る日本とアメリカ、東アジア情勢の歴史と未来(1)

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風雲急を告げる東アジア情勢。ゲームチェンジャーは着実に国力を強めている中国ですが、同時にアメリカが強力な発言力を持っていることも共通認識ではないかと思います。

靖国神社への首相参拝について、小泉政権下では「容認」していたアメリカは、直近の安倍首相の参拝では「失望」の意思表示に切り替えています。この大きな変化に驚いた日本の方も多かったと思います。


アメリカは何を考え、東アジア情勢に対処していくのか?


以前の投稿「ハーバードで語るアメリカの東アジア戦略(1)」では、冷戦終結と中国の台頭が、アメリカの国家戦略に劇的なインパクトを与えていることをご紹介しました。日米同盟があるとは言え、日本とアメリカの関係性は、二国間の問題にとどまらず、たとえば米中関係などの日本以外の国々の関係性に大きく影響を受けています。

今回の投稿では、ケネディスクールで筆者が実際に議論した「アメリカの東アジア戦略」について、あまり日本で知られていない近代史の側面も含めてご紹介したいと思います。

なぜ近代史にさかのぼる必要があるのか、それはアメリカの政策決定の中枢にいる人々が、現在進行形の事案についての意志決定において、公言しなかったとしても、深い歴史的な理解の下に行っているからです。その点で、日本では冷戦の思想対立の影響もあり、教育現場からのイデオロギー排除の目的の下で、近現代史を議論する機会が少ないことは非常に憂慮すべきことだと思います。



最初にご紹介したいエピソードは、「ポーツマス条約と南満州鉄道」についてです。ポーツマス条約は1905年、日露戦争を終わらせるための条件を決定した条約であり、条約交渉の場は、ハーバード大学から車で1時間ほどのいなかの港町ポーツマスで行われました。

司馬遼太郎氏の大作「坂の上の雲」を出すまでもなく、日露戦争とポーツマス条約は近代日本にとっては、強調してもし過ぎることはないほどに重要な歴史の分岐点です。

筆者はポーツマスの町を訪れ、全権大使であった小村寿太郎(外務大臣)が宿泊したホテル、歩いたであろう小道や、交渉の場となった海軍工廠を訪れ、万感の思いがこみ上げてきたことを憶えています。

ポーツマス条約によって、日本がロシアから勝ち取った最も大きな戦利品は、後の「南満州鉄道」(以下、満鉄)の権益です。これは現在の中国東北地方に、ロシアが保有していた鉄道事業、そしてそれに付随する鉄道付属地と呼ばれる広大な土地です。但し、勝ち取ったとはいえ、当時の日本国民の意識としては、莫大な賠償金を期待していたので、満鉄の権益「しか」取れなかったことに不満を抱いていました。

国民の期待通りの交渉結果を得られなかった小村寿太郎は、ホテルの自室で号泣したと言われており、その号泣現場となったホテルも訪れてきました。とにかく1905年にポーツマス条約は締結され、日露戦争は終結します。


なぜ条約交渉の場が、戦場から遠く離れたアメリカの東海岸であったのか?


それはアメリカが日露戦争の停戦の仲介者を引き受けたことによります。日本は、アメリカのサポートを得て、満鉄の権益を得て、中国東北地方(いわゆる満州)に経済進出する足掛かりを獲得し、大規模に投資を行っていきます。

しかし歴史の数奇な運命は、ポーツマス条約の36年後の1941年の真珠湾攻撃によって、日本とアメリカを全面戦争に導きます。その決定的な原因となったのも、満鉄を初めとした日本の中国大陸での権益でした。


興味深い点は、余り知られていないことですが、ポーツマス条約の締結時点では、アメリカが満鉄の日米合弁化を提案していたことです。つまり、アメリカは平和のための仲介者の役割を演じながら、日本の戦利品である満鉄事業について、日本とアメリカで半分ずつ出資する共同事業にすることを日本に提案をしていました。

そしてその36年後には、アメリカは日本の満州権益の全面放棄を要求し、拒絶した日本との間で全面戦争に突入してしまった。日本とアメリカ、東アジア情勢の未来を考える上で、振り返るべき歴史がこの36年間にあるというのが、筆者が留学期間を通じて持ち続けた問題意識です。


以下、「ケネディスクールで語る日本とアメリカ、東アジア情勢の歴史と未来(2)」へ続く。