ハーバード留学/研究員記録

純国産(純ドメ)の日本男児。 総合商社でアメリカ、中国の投資の仕事をしてきた後、 ビジネスと政治経済の融合を目指してハーバード大学ケネディスクール(Harvard Kennedy School)に留学。 修士課程を卒業した後、現在は同大学の研究員として中国にて現地調査中。 アメリカや中国で感じることについて書いていきます。

ケネディスクールで語る日本とアメリカ、東アジア情勢の歴史と未来(5)

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今回最後の投稿では、ハーバードで学ぶ中で繰り返し強調された、個々人が感じる「当然持っている権利を主張する」ことと、中長期の国益は必ずしも一致しない、という点についてご紹介したいと思います。


大戦末期の大本営発表のイメージが強すぎるため、かなり誤解されていますが、実はこまかく調べてみると、日露戦争終結(1905年)から、日米開戦(1941年)の36年間については、日本国民はかなり正確に状況を把握していました。それでもなお日本国民が道を誤っていないと感じていた最大の理由は、「当然持っている権利」を主張していると感じていたからではないでしょうか。


中には満州事変の関東軍のように、戦後日本の自作自演であったことが判明したケースもありますが、基本的には、多大なる日本人の犠牲の下で勝ち取った「正当な海外権益」、それに対して各国の民族主義者がテロや、不当な妨害工作を仕掛けてくる、よってその鎮圧と治安維持のために、軍事行動を取る当然の権利が日本側にあると考えられていました。


「当然持っている権利を主張する」ことは国民感情としては至極当然のことですが、正当性(Legitimacy)があるだけでは、自国民も他国民も幸福にできないことは歴史が証明しています。筆者がハーバードで学んだ際に、盛んに言われたもう一つのファクターは、結果(Consequence)でした。

ビジネスの世界でも、真正面からの正当な主張をする人がいて、理解・同情はするけれども、誰もついていかないという事態は、しばしば発生すると思います。正当な主張は、結果が伴ってこそ価値が生まれます。

アメリカの理想を語り、正当性を説得するプレゼン能力の高さは凄いと思いますが、それと同時に、あるいはそれ以上に、パワーポリティクスを生き抜くリアリズムが共存しているところには非常に感心します。

本来、民主主義の政体下で中長期の外交政策を決めていくということは、とても難度の高い作業とも感じます。実際近代史の中でも、1925年の普通選挙法施行以降、日本の対外強硬政策はむしろ「民意の勢い」を借りて強化されていきます。


「当然持っている権利」は、国民に分かりやすい反面、中長期のあるべき外交戦略論は分かりにくい(かつ、興味が持ちにくい)ことに起因しているのかも知れません。別の言葉では、中長期の難題から目をそらし、易きに流れているとも言えるかも知れません。これから中長期の視点に立った独自の外交政策が執れるかどうか、日本の民主主義にとって難しい挑戦が続くと思います。

 


日本の国防政策は、日米同盟を軸に、世界最強のアメリカ軍に大部分アウトソースしてきたことで、国防費の負担を抑えて、その分を経済発展に使って来れた経緯があります。日米同盟は、20世紀初頭の日英同盟と同様に、日本の国力増進に大きく貢献したことは間違いありません。

しかしながら、日本人に耳触りの良い楽観論を除外すれば、中国のますますの国力増強は間違いがなく、また同時にアメリカの中国への「心変わり」も不可逆的な流れと感じます。これからの世界のルールメイカーとなる超大国であるアメリカと中国が、どのようにグローバル・ガバナンスを構築していくのか見極め、新たな日本のポジショニングを考えていかなければならない時期に来ているはずです。


最後に近代史の話題に戻すと、日清戦争後のロシアを含めた三国干渉は、日本人にとって屈辱感に満ちたものだったと思いますが、悔しさをバネに、「臥薪嘗胆」をスローガンに日本は国力を増強し、日露戦争に勝利できました。明治期のエピソードには、理念とリアリズムが共存しているものが多く驚かされます。


目先の「当然持っている権利」に固執することで、結果的にパワーポリティクスの敗者になってしまわないように、明治の先達に学びつつ、決意新たに、今後の日本とアメリカ、東アジア情勢に向き合いたいと思う次第です。