ハーバード留学/研究員記録

純国産(純ドメ)の日本男児。 総合商社でアメリカ、中国の投資の仕事をしてきた後、 ビジネスと政治経済の融合を目指してハーバード大学ケネディスクール(Harvard Kennedy School)に留学。 修士課程を卒業した後、現在は同大学の研究員として中国にて現地調査中。 アメリカや中国で感じることについて書いていきます。

純粋ドメスティックが考えるグローバル人材(4)

f:id:madeinjapan13:20131009205823j:plain

(4) 純粋ドメスティックな中高時代

ちょっとまじめなSpeaking、Writingの語学話が続いたので、少しくだけた話をしようと思う。ブログということで個人的な話になってしまい恐縮ながら、筆者は前述の通り、千葉の公立中学と県立高校を経験している。両校の校風は180度と言っていいほど異なっていた。


出身の公立中学校は絵に描いたような管理教育。教育方針は規律が最重視され、校内暴力は日常茶飯事。最近twitterで「この体罰がやばすぎる」という投稿があり、体罰されている生徒を、別の高校生がスマホで隠し撮りしている動画を拝見したが、やばいというよりは、それは紛れもなく20年前の自分たちの「普段の生活」だったと思う。ちょうど尾崎豊が急死したタイミングも重なり、やはり夜に校舎の窓ガラスが割られたりした。

体育の授業では「人工衛星」と呼ばれるペナルティがあり、何が怒りの理由かは今もって謎であるが、教師が校庭に出てきた時の機嫌が悪いと、その日の体育の時間、次の体育の時間、その次の体育の時間、延々と校庭の外周をクラス全員で走らさせられたりもした。

4回目の授業は決まって全員起立の上での長時間のお説教が待っていた。その間、「なんで俺が怒ってるか、おまえらわかってねえんだろ?」と罵声を浴びせられるが、答えは教えてくれない。ちょっと姿勢が崩れると、殴られたり蹴られたりした。体育の授業というよりは、修行僧に対する哲学問答というほうがしっくりくる。今でも他人が怒鳴っていたり、暴れていても、ほとんど何も感じなくなったのは、この頃の原体験が影響していると思う。


一方、進学した県立高校は、「超」がつくほどの自由な校風だった。いや、自由というよりは、教育機関としては半分破綻していたともいえるかも知れない。筆者は初めて自由の国に出てきた脱北者のような気分で、最初かなりドギマギしたのを憶えている。詳しくはご紹介しないが、「それアリ?」ということが日常的に起きた。

学校に来ない、授業に出ない生徒が非常に多く、たまに授業に出てくると教師から、「あなた、単位が欲しかったら、あと3回までしか欠席できませんよ、わかりましたか?」と言われるような校風だった。良くも悪くも、自由の意味を考えさせられる経験になった。

こうなると楽しいことは、だいたい学校の外で起きるようになるし、学年が上がるにつれて、ますます生徒は学校に来なくなる、その内、夜中に家に帰るようになる、、、火の扱い方を知らないサルのようなもので、高校生に自由を与えるのは、ある種かなりの劇薬だと実体験から感じる。


いろいろ書いてきたが、結果的に振り返ると、自分自身消化するのに時間が掛かったものの、この両極端な教育をセットで受けることができて、本当に良かったと感じている。「管理」と「放任」、あるいは「規律」と「自由」という永遠の課題は、両方経験してみないと、その良さも悪さも分からないと思う。

グローバル人材というテーマに無理やり絡めて考えると、いまもって中学時代の体育教師ほどの理不尽な人にあったことはないし、「これ以上自由だと、規律が崩壊する」という自分なりのレッドラインが高校時代が原体験になっているという意味で、むしろメンタル面において、純粋ドメスティックな中高時代は、大きくいまの自分にプラスに働いていると実感する。

外国にいると理不尽なことだらけだと思う。現地語ができない外国人と分かれば、つけ込まれて絡まれることも多く、グローバル競争などという次元に至る以前のつまらないストレスも想像以上に多い。また、お里を離れれば離れるほど、あらゆる面で自由になり、自由を謳歌する中で、逆に「自分で決める」ことに対してストレスを抱え、場合によっては自分を見失う危険性が高い。

筆者を指導してくださった先生方が、こうした教育効果を期待されて、敢えて極端な行動を取られていたのかどうかは、いまは確認する術がないが、とにかく少なくともいま海外で生き抜く上で、なくてはならない経験となったことだけは確実だと感じている。


以下、「純粋ドメスティックが考えるグローバル人材(5)」へ続く。 

 

> このブログの記事一覧へリンク