ハーバード留学/研究員記録

純国産(純ドメ)の日本男児。 総合商社でアメリカ、中国の投資の仕事をしてきた後、 ビジネスと政治経済の融合を目指してハーバード大学ケネディスクール(Harvard Kennedy School)に留学。 修士課程を卒業した後、現在は同大学の研究員として中国にて現地調査中。 アメリカや中国で感じることについて書いていきます。

リーダーシップは教育できるか?

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「当時の社長から突然電話があり、後継社長に指名したいと言われた。私が社長になるなど想像もしていなかったし、社長の器か自信はなかったので、一晩考えさせて下さい、といって電話を切った。・・(中略)・・・周囲の励ましもあり、思い入れある会社のために粉骨砕身で社長になる決断をした。」

かつて日経新聞私の履歴書で拝見した、日本の大企業経営者の方の社長就任時のエピソードをアメリカの友人に話すとほとんど理解が得られない。なぜ自分がリーダーになる意欲も、自信も、想定も、準備もしてこなかった人物がリーダーになるのか、と。

 

アメリカではリーダーシップ研究が非常に盛んである。就活風に言うと「人のアメリカ、組織の日本」と言えるだろうか。突出して活躍しているリーダーが、アメリカ国民のプライドになっている。リーダーシップを研究するだけではない。ハーバードに限らず、ほとんどのアメリカの著名大学は、リーダーシップの育成を目標に掲げている。リーダーシップは果たして教育できるものだろうか。

 

ケネディスクールではリーダーシップを、MBA同様にケーススタディで教育している。以下ひとつ具体的なケースをご紹介したい。テーマは、エベレストの大惨事(Mount Everest disaster)という1996年に発生したエベレスト史上最悪の遭難事故を題材としている。実際の授業では非常に多くの前提知識やデータを頭に入れた上で議論を行っているが、エッセンスだけ取り出すと、以下のような内容である。

1996年、プロ登山家ロブ・ホール氏(隊長)は、多額の参加費用を支払って参加したアマチュア登山家20数名を連れ立って、エベレスト山頂まで案内することになった。ロブはエベレスト登山の経験豊富なベテランであり、参加者の支出のみならずスポンサーからの資金も出ているプロジェクトであった。エベレスト登山には「午後2時ルール」というベテラン登山家で共有されている不文律があった。それは午後2時までに山頂に到達できなかった場合は、日没までに下山できないため登頂を諦めて引き返さなければならない、というものであった。

当日、ロブが率いた登山隊以外にも、想定を超える多くの登山家がエベレスト登頂を目指していた。切り立った崖は時間を掛けて一人一人進まざるを得ず、多くの登山家がいたため予想以上に多くの時間を使った結果、午後2時を過ぎても山頂に到達できない状態に陥った。

 

苦悩するロブ。進めば日没までに下山できない危険が待っている。即座に下山すれば、そこに至るまでの努力は水の泡となり、莫大な登山費用を支払った参加者やスポンサーから厳しい批判を受けるだろう。「究極の選択」がロブを襲う。進むべきか、退くべきか。

悩んだ結果、ロブは進むことを決断する。デットラインに2時間遅れて午後4時にエベレスト山頂に到着。すぐさま下山を始めたが、それでも遅かった。天候が変わり吹雪となり、日没を過ぎても下山はできず、方向感覚も全くなくなってしまった。ロブ自身含めて登山隊の8名が犠牲となり、生き残った登山家たちも重度の凍傷を負うことになり、エベレスト史上最悪の山岳事故となった。授業参加者は、痛々しい凍傷の実際の映像を見せられた後に議論に移行する。

 

参加者はロブの立場になりきって意見を出し合う。しかし悩ましいことにビジネスのケーススタディ同様、このケースには唯一正しい答えはない。登頂を強行しても、下山してもどちらもネガティブな要素は避けられない。できるだけ冷静な判断を心掛けたとしても、最終的にはリーダーとしてどうあるべきかという自分自身の価値観に基づいて判断せざるを得ない。そういった意味では日本語の「教育」という「教えを請う」ニュアンスとは随分異なるものであると、体験してみて感じた。

 

こうした正解のないリーダーシップ・ケースの議論において、最も重要なポイントは「誰と語るか」に尽きる。志高く経験豊富な仲間、特に自分とは異なる分野のリーダーとの語りは、自分の価値観を研ぎ澄ます上で不可欠なプロセスと感じる。なにも留学しなくても、腹を割って話ができる仲間のいる人であれば、アフターファイブの居酒屋でも同じことはできる。アメリカのプロフェッショナルスクールがリーダーシップ教育で比較優位性があるのは、突き詰めるところ国連、世銀、各国政府官僚、コンサル、投資銀行、起業家、医者、ジャーナリスト、NPO経営者など世界中のあらゆる分野のリーダー(候補)を集めることのできる「求心力」であると感じる。言い換えれば、既に自分自身で独自のリーダーネットワークを持っている人であれば、リーダーシップ教育を標榜する学校に留学する意義は薄いだろう。

ところで、リーダーシップについての論点の中で、日本人としてアメリカ人から質問されて最も返答が難しい質問のひとつは、「なぜ日本は勝ち目のないアメリカとの戦争を始めたのか?」というシンプルなものだ。各種歴史資料を見れば分かる通り、当時の日本のリーダー達は、総力戦において最終勝利の見込みがないことを確かに認識していた。午後2時を過ぎて道半ばであったロブの気持ちと同じだったのであろうか。意外と「提督の決断」も、「登山家の苦渋の選択」も、「課長の業務判断」も本質的には同じ論点を含んでいると感じている。