ハーバード留学/研究員記録

純国産(純ドメ)の日本男児。 総合商社でアメリカ、中国の投資の仕事をしてきた後、 ビジネスと政治経済の融合を目指してハーバード大学ケネディスクール(Harvard Kennedy School)に留学。 修士課程を卒業した後、現在は同大学の研究員として中国にて現地調査中。 アメリカや中国で感じることについて書いていきます。

ケネディスクールで語る日本とアメリカ、東アジア情勢の歴史と未来(5)

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今回最後の投稿では、ハーバードで学ぶ中で繰り返し強調された、個々人が感じる「当然持っている権利を主張する」ことと、中長期の国益は必ずしも一致しない、という点についてご紹介したいと思います。


大戦末期の大本営発表のイメージが強すぎるため、かなり誤解されていますが、実はこまかく調べてみると、日露戦争終結(1905年)から、日米開戦(1941年)の36年間については、日本国民はかなり正確に状況を把握していました。それでもなお日本国民が道を誤っていないと感じていた最大の理由は、「当然持っている権利」を主張していると感じていたからではないでしょうか。


中には満州事変の関東軍のように、戦後日本の自作自演であったことが判明したケースもありますが、基本的には、多大なる日本人の犠牲の下で勝ち取った「正当な海外権益」、それに対して各国の民族主義者がテロや、不当な妨害工作を仕掛けてくる、よってその鎮圧と治安維持のために、軍事行動を取る当然の権利が日本側にあると考えられていました。


「当然持っている権利を主張する」ことは国民感情としては至極当然のことですが、正当性(Legitimacy)があるだけでは、自国民も他国民も幸福にできないことは歴史が証明しています。筆者がハーバードで学んだ際に、盛んに言われたもう一つのファクターは、結果(Consequence)でした。

ビジネスの世界でも、真正面からの正当な主張をする人がいて、理解・同情はするけれども、誰もついていかないという事態は、しばしば発生すると思います。正当な主張は、結果が伴ってこそ価値が生まれます。

アメリカの理想を語り、正当性を説得するプレゼン能力の高さは凄いと思いますが、それと同時に、あるいはそれ以上に、パワーポリティクスを生き抜くリアリズムが共存しているところには非常に感心します。

本来、民主主義の政体下で中長期の外交政策を決めていくということは、とても難度の高い作業とも感じます。実際近代史の中でも、1925年の普通選挙法施行以降、日本の対外強硬政策はむしろ「民意の勢い」を借りて強化されていきます。


「当然持っている権利」は、国民に分かりやすい反面、中長期のあるべき外交戦略論は分かりにくい(かつ、興味が持ちにくい)ことに起因しているのかも知れません。別の言葉では、中長期の難題から目をそらし、易きに流れているとも言えるかも知れません。これから中長期の視点に立った独自の外交政策が執れるかどうか、日本の民主主義にとって難しい挑戦が続くと思います。

 


日本の国防政策は、日米同盟を軸に、世界最強のアメリカ軍に大部分アウトソースしてきたことで、国防費の負担を抑えて、その分を経済発展に使って来れた経緯があります。日米同盟は、20世紀初頭の日英同盟と同様に、日本の国力増進に大きく貢献したことは間違いありません。

しかしながら、日本人に耳触りの良い楽観論を除外すれば、中国のますますの国力増強は間違いがなく、また同時にアメリカの中国への「心変わり」も不可逆的な流れと感じます。これからの世界のルールメイカーとなる超大国であるアメリカと中国が、どのようにグローバル・ガバナンスを構築していくのか見極め、新たな日本のポジショニングを考えていかなければならない時期に来ているはずです。


最後に近代史の話題に戻すと、日清戦争後のロシアを含めた三国干渉は、日本人にとって屈辱感に満ちたものだったと思いますが、悔しさをバネに、「臥薪嘗胆」をスローガンに日本は国力を増強し、日露戦争に勝利できました。明治期のエピソードには、理念とリアリズムが共存しているものが多く驚かされます。


目先の「当然持っている権利」に固執することで、結果的にパワーポリティクスの敗者になってしまわないように、明治の先達に学びつつ、決意新たに、今後の日本とアメリカ、東アジア情勢に向き合いたいと思う次第です。

ケネディスクールで語る日本とアメリカ、東アジア情勢の歴史と未来(4)

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直近2013年12月に実施された調査は、日本ではあまり重視されていませんが衝撃的な内容であり、アメリカ国内政治の「変節点」を如実に表しています。


ひとつは日本の外務省が行った一般のアメリカ人(1000人)を対象とした「アジアで最も重要なパートナーは?」という調査です。日本と答えたアメリカ人は35%、中国と答えたアメリカ人は39%という結果が出ています。言うまでもなく、これまではこの種の調査では日本の圧勝であり、中国を仮想敵国とすら答えるアメリカ人も多かったぐらいなので隔世の感があります。

また、同じ外務省の調査で特筆すべきは、日米同盟(日米安保条約)を維持すべきかという質問に対して、2012年は89%が賛成したのに対して、2013年調査では賛成が67%まで大幅に低下している。

またこれとは別のテーマ、CNNが行った調査ではアフガニスタン戦争の「不支持率」が82%と結果発表されています。あの全米中に反戦運動が広がったベトナム戦争ですら不支持率が60%を超えたことがないことを考えると、アメリカはかつてないほどに戦争嫌いになっていることが分かります。

アメリカ国内世論を総合して考えれば、「中国も日本も大事なパートナーだが、他国の武力紛争に参加はしたくない」というのが、アメリカ人の一般的な世論ということになります。

前回の投稿の通り、外交政策は国内政治の影響を多大に受けます。実際に、アメリカ政府は忠実に国内政治の動向に対応する政策を採っており、以前の投稿「尖閣問題でアメリカの姿勢が中途半端な理由」でご紹介した通り、敢えて中途半端なスタンスを取っていると考えています。


重要な点は、アメリカは在日米軍を維持しながら東アジア地域に「抑止力」の睨みを効かせたいと同時に、本当に同盟国・日本で武力衝突が起こり、集団的自衛権の発動を要請され、日米同盟の「踏み絵」を踏まされることは最も避けたい事態ということです。

ある日、たとえば日中で武力衝突が起き、踏み絵を踏まされた結果、日本のアメリカに対する幻想が崩れ、日米同盟が破綻する日となってしまう危険性があるため、あらゆる手段を使って、「日本、中国どっちが大事?ファイナルアンサー?」と聞かれないようにノラリクラリ誘導したいというのがアメリカの国益ということになります。

小泉首相が靖国参拝した際にアメリカ政府は「容認」のスタンスを取りましたが、その当時はアメリカ自身がアフガニスタン、イラクで大戦争をしている真最中であり、むしろ日本にアメリカの中東戦争にできる限り加勢しろ、と要求している立場でした。

今回アメリカが一転して、安倍首相の靖国参拝に「失望」の念を強調した理由は、一連の中国を刺激する政策が、両国の好戦論を高めてしまい、結果不測の武力衝突を惹起することでアメリカが「踏み絵を踏まされる」ことに懸念していると考えています。


一方で、非常に意地悪な見方をすれば、武力衝突に至らない程度に日本と中国が対立してくれることは、アメリカ産業界の利益になっています。中国という非常に魅力的な消費市場に参入する外資系企業として、日本とアメリカは強烈なライバルです。

領土を巡り、中国の国民感情が悪化することで、日中貿易や日中ビジネスが後退すれば、その間隙を縫う企業はアメリカや欧州であることは、もう少し意識されるべき事実と思います。アメリカでは特に、政治はこうした企業の利害に大きく影響を受けています。


つまりアメリカの立場に立って考えれば、日米同盟が発動されるぐらいのリスクのある緊張関係は避けたいけれども、日中は適度に対立してくれてアメリカ企業の利益が増える、というのが最適解のはずです。逆にいえば、年末の安倍首相の靖国参拝は、日本人がどう感じているかは別として(世論調査では50~70%が賛成)、「本当に」軍事衝突を誘発しかねない行動と、アメリカ政府(国務省)が判断したことが推測されます。


以下、「ケネディスクールで語る日本とアメリカ、東アジア情勢の歴史と未来(5)」へ続く。

ケネディスクールで語る日本とアメリカ、東アジア情勢の歴史と未来(3)

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「なぜ日本は勝ち目のないアメリカとの戦争に踏み切ったのか?」


これは、ケネディスクールで受けた無数の質問の中でも、答えに窮する難問のひとつです。

熟慮の末、筆者の至った考えは、「両国の国内政治が最大要因」というものです。戦争は外交の究極的手段ですが、外交政策は独立したものではなく、想像以上に国内政治の影響を受けています。



日本が真珠湾を奇襲攻撃している以上、最大の要因は当時の日本側にある訳ですが、アメリカ政権中枢が日本と戦争したがっていたことも事実と考えています。先にアメリカ側の国内要因についてご紹介します。


当時のアメリカにとって最大の敵は、欧州で急拡大するナチスドイツでした。ドイツ第三帝国はいずれ欧州を軍事統一して、アメリカを含めた世界征服に挑戦すると多くの知識人に考えられており、小さい内にその野望を打ち砕きたいと考えられていました。


ケネディスクールで知った事実ですが、当時のアメリカにはナチスの脅威を知りながらも、ドイツとの戦争に踏み切れない理由がありました。アメリカ国内に住む「ドイツ移民」の存在です。

アメリカ人でありながら、ドイツのアイデンティティを持っているドイツ移民が強い政治力を持っている中で、ドイツとの開戦を民主的な方法で決定することは非常に難しいことです。しかもその時点では、ナチスの侵攻はあくまで欧州域内に限定されており、アメリカ大陸には到達しておらず、個別的自衛権の発動要件を満たしていない。

ドイツと軍事同盟を結ぶ日本による、「卑劣な奇襲攻撃」(注意:アメリカ式表現)は、日米開戦という意義以上に、ナチスドイツと戦争をするための最良の口実を与えてくれたと語られた時には、日米開戦がアメリカ国内政治によって用意されたものであることを痛感しました。

アメリカ側に開戦の動機がある以上、1941年当時、日本に対しては日米戦争に誘導する相当なプレッシャーを掛けていたはずです。事実、決して日本政府が受諾できない条件を突き付けて、その条件を受け入れない以上、石油禁輸などの制裁処置を取るなど、日本に究極の選択を迫るという外交政策が採られていました。

当時日本の軍事力を支えていた石油資源は、アメリカからの輸入で支えられており、石油の国内備蓄量は一年分に満たない量であったと分析されており、最初からアメリカのサポートなしには自活できる状態ではなかった。

日本に「座して死を待つか、究極の条件を飲むか」というプレッシャーを与えられる立場にアメリカはおり、結果的には日本はそのどちらも受け入れることなく、アメリカとの勝ち目のない戦争に踏み切っていくことになります。



一方で、日本国内の政治要因は、まさにアメリカが放棄を求めた「中国大陸の権益」を捨てられないことにありました。当時、「満蒙は日本の生命線」と考えられており、満州鉄道を初めとした中国東北地方の経済権益、安全保障上の有利なポジションは、明治以来膨大な数の日本人の犠牲の上で獲得した決して譲歩することのできない権益と考えられていました。

この権益の放棄を主張することは国賊とされ、その瞬間政治家として「死」を意味したはずです。暗殺やテロも頻発しているため、人間としても「死」を意味していたかも知れません。


この国内政治の諸条件が重なると、日本政府の外交政策は、国内政治の強力な制約によって、たとえ勝ち目のない戦争だと分かっていても、日米開戦に踏み切らざるを得ないという結論に至ると思います。


当時「ハーバード流交渉術」は、構想も出版もされていませんでしたが、アメリカの外交交渉術は戦略的に日本の選択肢を捨てさせ、自らの望む形に誘導するものであったと感じています。

ここから筆者が学んだ教訓は、外交関係を考える上で、相手の国の国内情勢は決定的に重要なファクターであるということです。同時に、自ら「絶対に譲歩できないもの」を設定してしまうことは、直近のシリア処理でオバマ大統領の求心力が急低下したように、自ら将棋で言う「ツミ」の状態に近づけていく行為であり、外交交渉の相手(あるいはそれ以外の第三者)に主導権を渡してしまうリスクが高いと感じています。



以下、「ケネディスクールで語る日本とアメリカ、東アジア情勢の歴史と未来(4)」へ続く。

ケネディスクールで語る日本とアメリカ、東アジア情勢の歴史と未来(2)

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上の写真は、小村寿太郎が号泣したと言われるポーツマス宿泊先のホテルです。一時経営破綻し廃墟となっていましたが、現在はリノベされて高級ホテルになっています。


1905年、ポーツマス条約がアメリカで交渉されている最中、東京にエドワード・ハリマンというアメリカの実業家が出張に来ています。ハリマンはアメリカの巨大鉄道会社の経営者であり、東京で時の首相桂太郎と面会し、「桂ハリマン協定」と呼ばれる満鉄の合弁会社化の覚書を締結しています。

結局、桂ハリマン協定は、条約交渉後に帰国した小村外相によって強力に反対され、破棄されています。小村外相が恐れたと言われたのは、日本国民の不満の爆発であり、事実ポーツマス条約のあまりの戦利品の少なさに、有名な「日比谷焼打ち事件」が発生しています。

ただでさえ戦利品が少ない上に、満鉄権益の半分をアメリカに譲渡してしまえば、国民の不満を抑え込めないと判断されたと言われており、結果、満鉄は日米合弁ではなく日本独資で資本金2億円(現在の貨幣価値で1兆円前後)で設立されます。


日本の中国大陸における中核的権益であった満鉄が、日本独資ではなくアメリカとの合弁であったら、その後の歴史はどう動いたか?アメリカが中国大陸に、何兆円もの日本との共同事業を持っていれば、その後の東アジア情勢は、あるいは日本の命運は大きく変化したことは間違いないはずです。


筆者はケネディスクールでの議論で、「後にアメリカは日本の満州権益を徹底批判し戦争に至っていますが、1905年時点では満州地域の中核権益の合弁化を提案している。少なくともスタート時点ではアメリカも日本も同じではないですか?」と国際政治学の教授に発言をしたことがあります。

彼の返答は印象的でした。「ポーツマス時のアメリカのセオドア・ルーズベルト大統領の政策は、日本の海外政策と似ていたかも知れない。古典的な帝国主義とも言える。但し、日本が見誤った最大のポイントは、第一次世界大戦の戦後秩序と、後任のウィルソン大統領によるアメリカ外交政策の大幅な転換である」と。


20世紀初頭の日本とアメリカは、どちらも世界の帝国主義競争に乗り遅れた「後発国」でした。広大な海外領土を持つイギリスやフランスを手本にしながら、富国強兵と海外権益の獲得に意欲的であったと言えます。表現方法は別として、ポーツマス条約時期の日本とアメリカは、外交政策において大差なかったと言えます。


しかしその後アメリカは第一次大戦を経て、ウィルソン大統領の「ウィルソン主義」によって、180度と言って良いほどの外交政策の転換を行い、帝国主義的拡張政策を批判し、各国の民族が自分達で決定する民族自決の原則を打ち立てて支持を広げていきます。

ポーツマス条約の時には同じ海外権益を取り合っていた日米両国。その僅か14年後の1919年に中国で巻き起こった反帝国主義を掲げた「五四運動」において、アメリカは民族自決を支援するソフトパワー国家として賞賛され、日本は帝国主義的ハードパワーの代表国家として痛烈に批判をされている。このギャップが、前述の「日本が見誤ったアメリカの転換」と言えます。

別の表現をすれば、アメリカは、イギリスやフランスのような先行している大国に追随するのではなく、第一次大戦を契機に既存のルールを否定し、新しいゲームのルールを打ち立てる戦略を採り、ソフトパワーとハードパワーを組み合わせた戦略によって、新しい秩序を作ることに成功したと言えます。


現在アメリカは、冷戦終結と中国の台頭によって、再び国家戦略の転換を考えています。今回アメリカは、ウィルソン大統領の時とは異なり、追いかける立場から、追いかけられる立場になっており、むしろ既存の世界秩序に挑戦していくのは中国になるはずです。

ポーツマスから真珠湾に至る歴史が示唆しているところは、世界の超大国の戦略は、パワーバランスの変化を契機として、時に180度転換する可能性があることであり、その変化は緩慢ながらも、正確な理解をしていかなければ、往々にして「今日の友も明日の敵」となることではないかと思います。


2014年現在、日米同盟が締結されてから約60年、冷戦が終結してから約20年、中国の大国としての台頭が意識され始めてから約10年。潮目が大きく変わるタイミングは近いと感じています。

以下、「ケネディスクールで語る日本とアメリカ、東アジア情勢の歴史と未来(3)」へ続く。

ケネディスクールで語る日本とアメリカ、東アジア情勢の歴史と未来(1)

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風雲急を告げる東アジア情勢。ゲームチェンジャーは着実に国力を強めている中国ですが、同時にアメリカが強力な発言力を持っていることも共通認識ではないかと思います。

靖国神社への首相参拝について、小泉政権下では「容認」していたアメリカは、直近の安倍首相の参拝では「失望」の意思表示に切り替えています。この大きな変化に驚いた日本の方も多かったと思います。


アメリカは何を考え、東アジア情勢に対処していくのか?


以前の投稿「ハーバードで語るアメリカの東アジア戦略(1)」では、冷戦終結と中国の台頭が、アメリカの国家戦略に劇的なインパクトを与えていることをご紹介しました。日米同盟があるとは言え、日本とアメリカの関係性は、二国間の問題にとどまらず、たとえば米中関係などの日本以外の国々の関係性に大きく影響を受けています。

今回の投稿では、ケネディスクールで筆者が実際に議論した「アメリカの東アジア戦略」について、あまり日本で知られていない近代史の側面も含めてご紹介したいと思います。

なぜ近代史にさかのぼる必要があるのか、それはアメリカの政策決定の中枢にいる人々が、現在進行形の事案についての意志決定において、公言しなかったとしても、深い歴史的な理解の下に行っているからです。その点で、日本では冷戦の思想対立の影響もあり、教育現場からのイデオロギー排除の目的の下で、近現代史を議論する機会が少ないことは非常に憂慮すべきことだと思います。



最初にご紹介したいエピソードは、「ポーツマス条約と南満州鉄道」についてです。ポーツマス条約は1905年、日露戦争を終わらせるための条件を決定した条約であり、条約交渉の場は、ハーバード大学から車で1時間ほどのいなかの港町ポーツマスで行われました。

司馬遼太郎氏の大作「坂の上の雲」を出すまでもなく、日露戦争とポーツマス条約は近代日本にとっては、強調してもし過ぎることはないほどに重要な歴史の分岐点です。

筆者はポーツマスの町を訪れ、全権大使であった小村寿太郎(外務大臣)が宿泊したホテル、歩いたであろう小道や、交渉の場となった海軍工廠を訪れ、万感の思いがこみ上げてきたことを憶えています。

ポーツマス条約によって、日本がロシアから勝ち取った最も大きな戦利品は、後の「南満州鉄道」(以下、満鉄)の権益です。これは現在の中国東北地方に、ロシアが保有していた鉄道事業、そしてそれに付随する鉄道付属地と呼ばれる広大な土地です。但し、勝ち取ったとはいえ、当時の日本国民の意識としては、莫大な賠償金を期待していたので、満鉄の権益「しか」取れなかったことに不満を抱いていました。

国民の期待通りの交渉結果を得られなかった小村寿太郎は、ホテルの自室で号泣したと言われており、その号泣現場となったホテルも訪れてきました。とにかく1905年にポーツマス条約は締結され、日露戦争は終結します。


なぜ条約交渉の場が、戦場から遠く離れたアメリカの東海岸であったのか?


それはアメリカが日露戦争の停戦の仲介者を引き受けたことによります。日本は、アメリカのサポートを得て、満鉄の権益を得て、中国東北地方(いわゆる満州)に経済進出する足掛かりを獲得し、大規模に投資を行っていきます。

しかし歴史の数奇な運命は、ポーツマス条約の36年後の1941年の真珠湾攻撃によって、日本とアメリカを全面戦争に導きます。その決定的な原因となったのも、満鉄を初めとした日本の中国大陸での権益でした。


興味深い点は、余り知られていないことですが、ポーツマス条約の締結時点では、アメリカが満鉄の日米合弁化を提案していたことです。つまり、アメリカは平和のための仲介者の役割を演じながら、日本の戦利品である満鉄事業について、日本とアメリカで半分ずつ出資する共同事業にすることを日本に提案をしていました。

そしてその36年後には、アメリカは日本の満州権益の全面放棄を要求し、拒絶した日本との間で全面戦争に突入してしまった。日本とアメリカ、東アジア情勢の未来を考える上で、振り返るべき歴史がこの36年間にあるというのが、筆者が留学期間を通じて持ち続けた問題意識です。


以下、「ケネディスクールで語る日本とアメリカ、東アジア情勢の歴史と未来(2)」へ続く。

ハーバード大学は巨大投資ファンド(5)

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最近、日本独自の国防力についての議論が、活発に行われている。これまで日本にとってのセコムとして、呼べばすぐに来てくれたアメリカ、あるいは24時間、門の前で守衛をしてくれていた(かも知れない)アメリカ。

そのアメリカの国家戦略に変化が生じていることは、以前のブログ「ハーバードで語るアメリカの東アジア戦略」などでもご紹介させて頂いた。今でも来てくれるかも知れないが、相当イヤイヤ感が溢れているし、「そんな余裕はない!」と、ある日逆ギレされて来てくれなくなるかも知れないことは、誰の目にも明らかではないかと思う。独自国防力の議論は、至極当然のことと感じている。


筆者の問題意識は、特に「日本独自の投資力」についての議論が抜け落ちていることである。


ハーバードが巨額の大学基金で投資してうまく行っているからといっても、自分自身日本の大学で働いたことはないので、日本の大学も同じように積極運用すべきとは軽々には申し上げられない。しかし国として蓄積された資金を、海外の有望な分野に投資して、次の世代のために増やしていく必要性については、ますます切実に感じている。


二回目の投稿でご紹介した公的年金のように、日本の多くの機関投資家は「日本国債」に集中投資をしている。結果、投資リターンは非常に低い。ハーバードが資産を5倍、6倍としている中で、日本の資金はほとんど増えていないのが実情である。

あるいは、国債以外の投資においても、アメリカや欧州のアセットマネジメント会社に多額のフィーを支払っており、日々こうした手数料が国外流出しているような状況。

一方言うまでもなく、国債を一斉に売却することはできない。国家財政は増え続ける負債を国債でファイナンスしている状況であるため、日本の機関投資家が国債を売却してしまえば、日本政府の財政が破綻する危険性が高い。但し、これはアメリカも欧州も同じである。ひょっとすると政府財政は、「予算があれば使ってしまうが、ないならないで、ある程度なんとかやり繰りできる」ものなのかも知れない。



筆者自身は、投資力を増強するための最大の障害は、「世界情勢を独自に分析する能力」の欠如にあると考えている。この議論は独自の国防力の議論に繋がるものであるが、冷戦体制の中でアメリカの保護の下に置かれた期間に、独自に海外権益を開拓し、マネジメントしていくアニマル・スピリットが失われてしまったのではないかと考えている。

特に「中国」についての理解は極めて重要ではないかと考えている。最大の消費市場が勃興しつつあり、地理的、文化的な近さも、投資機会の豊富さも他の地域を圧倒している。また、リアルアセットなどの長期に渡って投資リターンが見込まれる投資対象の可能性を見極めるためにも、その最大の消費市場である中国のことは最優先に理解しておく必要がある。

こうした問題意識もあり、「ハーバード研究員が見たリアル・チャイナ」でご紹介した通り、中国社会にどっぷり入り込んで、現地の状況を肌感覚で理解することを心掛けている。ハーバードも同じ視点で、中国の研究を進め、研究者をサポートし、またその研究成果を取り込むことに躍起になっている。


正直筆者の感覚では、少なくとも中国、日本、韓国の東アジアマーケットについては、潜在的には、ハーバードのような欧米プレーヤーよりも、日本に強みがあると考えている。政治対立の問題は深刻ではあるものの、これまでに紡いできた歴史の長さや、共有している文化的共通性を考えると、東アジアについては、圧倒的に日本人が有利なポジションにいる。

まずはハーバードのような有力な欧米投資家の動きから学んで行く必要はあるものの、近い将来、アメリカの投資家に「東アジアの投資は任せた」と言わせるぐらいの投資力を持っていきたい。その時は厚い手数料を取って、筆者がハーバードに収めた学費を少しでも回収したいと考えている。


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ハーバード大学は巨大投資ファンド(4)

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続いて、ハーバードは「大学」として、どういった体制で、どういった対象に投資を行っているのかについてご紹介したい。


最大の特色は、「ハイブリッド・モデル(リンク先ご参照)」と呼ばれる体制である。ハイブリッドとはハイブリッドカーが、ガソリンと自家発電を組み合わせているように、二つの異なるアプローチを統合する戦略であることを意味している。

具体的には、ハーバード自身が具体的な投資先企業を見つけてきて直接投資する部分もあり、一方で、その分野で一流のアセットマネジメント会社を見つけてきて、資金を預けて代わりに投資をして貰う部分もあることを意味している。つまり、自分でも投資する部分もあり、他のプロに委託する部分もある。

アセットマネジメント会社を間に入れると、手数料を支払う必要があるため投資リターンは低くなってしまうデメリットがある。

一方で、手数料を節約するために、自社内に投資チームを作ってしまうと、その分野への投資を打ち切る際に、担当者を解雇する必要があり、機動的に投資ポートフォリオの変更が難しくなるデメリットがある。


ハーバードは本来が研究機関であるため、個別企業の業績予測に最も強みがあるというよりは、このブログでも度々ご紹介してきたジオポリティクス(地政学)や、政治経済のマクロの流れを把握することに最も強みがある。

従って、マクロ政治経済の流れ次第で、機敏に投資対象を組み替えられる自由度を確保しながら、アセットマネジメント会社への手数料を節約することを目指すことに合理性があり、結果「ハイブリッド・モデル」を採用していると考えられる。



例えば、ハーバードの卒業生の中に「中国でベンチャー起業したい」中国人の学生がいるとする。これまでご紹介してきた通り、大学は各種の起業支援のプログラムを持っているため、そういったプロセスを経て事業の成功確度を評価した上で、直接投資することもできる。

また、大学基金はベンチャーファンド(いわゆるVC)にも投資運用委託を行っているため、その中国人学生を紹介することで、VCに自分達に代わって評価、投資をして貰うこともできる。

特に大学が得意とする基礎研究に近い分野であればまだしも、商業ベースのハイテク起業(例えばFacebook)ということになると、技術的な価値以上に、商業的な価値が重要になるため、当該マーケット動向に精通したVCを通した方が無難と判断される場合も多いと思う。


また、リアルアセット投資の分野では、ハーバード自体が直接「森林」や「農地」に大規模な投資を行っている。全体の30%を占めるリアルアセット投資の内、半分以上、つまり約5000億円が森林や農地に投資されている。

例えば一例を挙げると、ハーバード大学基金は、ニュージーランドの森林を2003年に17万ヘクタール購入した。広大と言われている東大農学部の演習林も、全国すべて合計して3万ヘクタールと言われているので、ハーバードのニュージーランド森林投資の規模の大きさが想像される。

森林投資を含めたリアルアセット投資を、魅力的な投資対象にしている要因は「中国」である。総合商社各社の業績が21世紀に入って大きく向上した理由も同様で、燃料や、金属資源、あるいは森林などのリアルアセット投資した権益が、中国の急激な経済発展によって需給が逼迫し、価格が高騰したことが最も大きい要因である。

特に燃料や金属は、資金を投入すれば「より多く産出すること」が、ある程度技術的に可能である一方で、森林で育つ木材は、資金を投入すれば早く育つという訳でもないので、中国を初めとした新興国が急激な成長を続ければ、燃料、金属以上に需給が逼迫して価格が高騰するという特色を持っている。

ボストンから遠く離れたニュージーランドの森林が、「演習林」ではなく、「投資対象」である以上、この値上がり感にこそハーバードの着眼点はある。実際ハーバードはこのニュージーランドの森林を最近部分売却し、巨額の投資利益を手にしている。



次回最後の投稿では、筆者が考える「日本がアメリカから学ぶべきノウハウ」についてご紹介したい。

以下、「ハーバード大学は巨大投資ファンド(5)」へ続く。

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ハーバード大学は巨大投資ファンド(3)

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        ハーバード大学=日本の大学+三菱商事


筆者がこう表現すると、「ハーバードが三菱商事??」と、違和感を持たれる方もいらっしゃるかも知れない。三菱商事は教育機関ではなく、総合商社である、と。しかし、詳細にハーバードのことを調べていった結果、筆者が辿り着いたイメージは、ハーバード大学は、日本の高等教育機関に総合商社をプラスしたような存在である。


前回、説明を保留にしていたハーバード大学基金の投資先「その他 約70%」の中身は、以下の通りとなっている。

1. 新興国株式+プライベートエクイティ+ヘッジファンド   約40%
2. リアルアセット投資(不動産+天然資源+商品先物など   約30%


単純化すると、新興国や非上場株式などが40%、天然資源などのリアルアセット投資が30%である。これはまさに21世紀に入ってから高収益を出している総合商社の事業ポートフォリオに類似している。

伝統的に貿易の仲介を主軸にしてきた総合商社は、20世紀末に商社不要論に直面した段階で、高収益が実現できる新興国や非上場株式、あるいは天然資源に対する「事業投資」に経営の舵を切り、その投資収益によって空前の利益を達成することができた。現在の総合商社各社の利益の大半は、こうした新興国、非上場株式、天然資源への事業投資から生み出されている。

投資の規模も、ハーバードと三菱商事(あるいは三井物産)は非常に類似している。ハーバードは3兆円の大学基金を使って、年間3500~4000億円程度の投資利益を出しているが、三菱商事も同程度の株主資本を使って、ほぼ同水準の投資利益を出している。

従って、ハーバード「大学」と、大学を語ってはいるものの、その本質は日本人がイメージする「純然たる大学」とはかなり異なる存在であり、日本で同じ機関を創設するとするならば、それは日本の大学を単純に高度化させた状態というだけではなく、全く性格の異なる、いわば「東大と三菱商事を合併したような状態」であるというのが、本稿の伝えたい内容である。


総合商社は、このブログでも以前「三井物産筆頭常務 安川雄之助の生涯」でご紹介した通り、明治維新の頃からあらゆる分野に進出し、貿易立国日本の発展を支えてきた存在であり、情報ハブとしての役割を担ってきたことが、現在の投資会社化した経営を支えている。

ハーバード大学も同様に、長い期間に渡って蓄積してきた情報ハブとしての機能を最大限生かして、こうした新興国、非上場株式や、天然資源投資の世界で、強力な投資会社として収益を生み出しているのである。

留学を志した頃の筆者のハーバード大学に対するイメージは、「アメリカの高等教育機関」に過ぎなかった。日本の大学で行われている教育を、英語で、かつ更に高度な内容で行っているのだろう、という漠然としたイメージであった。このイメージは間違ってはいなかったものの、振り返ってみて、ハーバードの半分の側面しか見えていなかったと感じている。

もう半分は、筆者自身が慣れ親しんでいる総合商社のビジネスモデルに酷似していることに気が付いた時に、目からウロコが落ちる衝撃を感じた。これはハーバードだけではなく、アメリカの主要大学は全て同様に、巨大な大学基金を持ち、総合商社と同様の投資活動を行っている。アメリカの大学は、そもそもビジネスモデルが根底から日本の大学とは異なっている、と感じた。


では具体的にハーバードは、どういった対象に投資を行い収益を上げているのか。このシリーズ冒頭に申し上げた、「日本がアメリカから学ぶべきノウハウ」はどういったものなのかについて、次回以降の投稿にてご説明申し上げたい。


以下、「ハーバード大学は巨大投資ファンド(4)」へ続く。


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ハーバード大学は巨大投資ファンド(2)

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大学でありながら、ハーバードはいかにして3兆円もの資産を持つに至ったのか、週刊誌的な大学特集では見えてこない「巨大投資ファンド ハーバード」のコア部分について、更にご紹介させて頂きたい。


ハーバードの資金運用の特色は一言で、「グローバル分散投資」と表現できる。グローバル投資も、分散投資も、今では誰でも知っていることで、新規性はない。問題は、これを頭で理解することは容易であっても、形として実現することの難しさにある。

ハーバードには、大学が持つ情報ハブ機能を最大限生かして、世界情勢を分析し、地政学リスクを把握し、世界中に投資を実行し、リターンの最大化を実現する体制がある。

日本最大の投資家のひとつ、公的年金を挙げると、資金運用を担当している「年金積立金管理運用(独立行政法人)」のホームページ(http://www.gpif.go.jp/)には、パフォーマンスや投資先の情報が開示されている。

公的年金の約120兆円の資金を投資した結果の年率リターンは、直近12年間平均で約2%とされている。前回の投稿の通り、ハーバードは20年に渡り年率10%のリターンを達成している。

この2%と10%というのは、特に長期で投資を行う場合、結果は決定的に異なる。2%では20年経っても資産は1.5倍にしかならないが、10%ならば6倍以上にも膨れ上がることになる。

そして、現実問題として、ハーバードの資産は6倍以上に増加し、日本の資産はほとんど増えていない。日本がパワーハウスとしての立場を失っていく背景は、産業力や技術力の低下だけではなく、こうした見えにくい「投資力」が致命的に劣後していることに起因している。


なぜハーバードは投資に成功して、日本の投資家のリターンは低いのか。


最大の原因は、日本の投資家の投資先が、「日本国債」に集中していることにある。

たとえば公的年金のホームページには、投資先(2012年度末)として日本国債約62%、国内株式約15%、外国債券約10%、外国株式約12%等と記載されている。

一方で、ハーバード大学の大学基金のホームページの投資先情報(2013年、リンク先ご参照)には、国内債券約4%、国内株式約11%、外国債券2%、外国株式11%、その他約70%と記載されている。

日本の投資家の資金が6割以上もリターンの低い日本国債に投じられている一方で、ハーバードの資金は、僅か4%しか国債に投資されていない。国債は、一般に知られている通り、最も安全な投資対象であるため、リターンも最も低い。

実は日本とアメリカの「投資力」の実力差は、端的にいえば、リスクを取ってリターンに挑戦するか、安全に国債を買っておくだけにするか、という基本的なスタンス、あるいは価値観の違いが最大の要因となっている。

 

筆者が大学生の頃に、「金持ち父さん、貧乏父さん」というアメリカの本が日本で翻訳されて発売されベストセラーとなった。アメリカの価値観を知る非常に興味深い書籍である。いまでもアメリカの書店に行けば、この書籍はベストセラーの書棚にある。多くの人々が金持ち父さんを夢見ているし、ハーバードは「金持ち父さん」を大学自体が実践しているといえる。

個々人の価値観は人それぞれであり、「金持ち父さん」的な思想を好きになれない日本人を筆者も知っているし、アメリカであっても、清貧の中に美徳を見出す人々も、多くはないが存在している。

但し、大学や国家というレベルの話になれば、資金力は国力の非常に重要な一部分であることに疑念の余地はない。「カネが全て」ではないことは間違いないものの、同時に経済力は極めて重要な資源であり、他者に影響を与え自らの理想を実現するために不可欠なツールであると感じる。


ハーバードは、投資リスクを取って生み出した潤沢な資金を活用して、研究や教育の質を高めることに成功している。もし大学基金が国債だけを買っていたら、研究教育の質は下がり、ハーバード大学に対する評価は大きく低下していたに違いない。

また、ハーバード大学は学部入学者の学費を負担できるようになっており、少なくとも学費を理由に「入学できない高校生」がいなくなった。就学機会の不均等という社会問題を、政府に頼らず、ハーバードは自己資金で解決したことになる。

あるいは、潤沢な資金を活用して、ベンチャーファンドがリターンの観点で投資できない、いわゆるソーシャルベンチャー(貧困層向け起業家など)への支援を実行することも可能になっている。

ハーバード大学において、次々に新しい取り組みができているのも、大学基金が果敢に投資リスクに挑戦して、リターンを生み出しているからこそできており、究極的にはこうした「投資力」が大学のパワーやプレステージの源泉となっている。


もうひとつ秘密がある。先程のハーバード大学の投資先として「その他約70%」と書いた箇所である。債券でも株でもない、その他に70%??と思われるかも知れない。この部分にこそ、もう一つの投資ファンド ハーバードとしての特色が隠されている。詳細は次回へ。

 

以下、「ハーバード大学は巨大投資ファンド(3)」へ続く。

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ハーバード大学は巨大投資ファンド(1)

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ハーバード大学は一般に、日本の大学同様に研究と教育に取り組む機関であると理解されている。但し、決定的に異なる機能を持っていることは、余り知られていない。ハーバード大学は、アメリカでも有数の投資ファンドの機能を持っている。

日本がアメリカから学ぶべきノウハウはここにある。


アメリカの私立大学は、どこの大学も「大学基金」を持っている。これは授業料収入や、例えばケーススタディなどの教材の売上も含まれているものの、最も強力な資金源は「寄付金」と、その「運用益」である。ハーバード大学基金は、約3兆円の資金規模を有しており、約2兆円規模有しているイェール大学基金と共に、大学基金の世界でのリーダーの役割を果たしている。


3兆円と言っても、投資の仕事をしていない限りは、即座に規模感がイメージしづらいと思うものの、例えば日本の大学、慶応大学基金が約400億円、早稲田大学が約300億円、東大が約100億円と言われているので、日本の最も大きい大学基金と比較しても100倍ぐらい大きい資金を有していることになる。

このパワーオブマネーが、ハーバードの高水準の研究、教育活動を支える不可欠なリソースとなっており、また政府からの補助金を期待せざるを得ない日本の大学と比較して、圧倒的な自由度と独立性を確保する手段になっている。

実はハーバードの大学基金は、20年前の1990年頃には約5000億円程度の規模であったと言われている。当時まだ日本の大学基金とのギャップは10倍強。つまり投資のリスクを取って、20年掛けて基金の規模を6倍にしたことになる。20年で6倍というのは、複利計算の場合は、年率10%前後の投資リターン。

特に2000年代に入ってからは、積極的な投資スタンスに切り替え、更にパフォーマンスを向上している。リーマンショック時の一時的な投資損失は発生したものの、現在においても毎日ハーバードの大学基金は着実に増え続けている。


分かり易さを最優先に単純化してご紹介すると、巨額の資金を増やすためには、まず考えるべきは、現金や銀行預金のままにしておくのではなく、債券や株式を購入して、投資リターンを出していくことになる。アメリカや日本に限らず、あらゆる投資家は、まさに国債や社債、あるいは株式などの投資信託などを購入することで投資リターンを出すために日々努力をしている。

一方で、ハーバード大学ほどに高いパフォーマンスを維持し、資金規模を着実に増やしている投資家は非常に少ない。例えば、日本の国債を買ったとしても、あるいは日経平均に投資をしたとしても、20年掛けても到底年率10%の投資リターンは達成できない。

そもそもご存知の通り、日経平均はアベノミクス後(14,000円前後)であっても、90年代前半の水準と同等か、むしろ下落しているので、日経平均に投資だけしていたとすれば、20年掛けても全く資金が増えないか、むしろ減っていたことになる。

オーソドックスな債券と株式の運用だけでは、ハーバード大学の成長に追いつくことは決してできない。そればかりか、特別な仕組み、特別な人材を揃えない限りは、ギャップはどんどん広がっていく。



日本のメディアにおける「国内外の大学比較」のような情報には、日本の大学と、アメリカなどの海外の大学を比較して、研究面のギャップ、教育面のギャップについて分析しているものは多いものの、その両者の質を確保する為に決定的に重要な資金運用面でのギャップについて言及しているものは、ほとんど存在しない。

しかし良質の研究や、良質の教育には非常にカネがかかる。3兆円のカネを持つ人々と、300億円のカネしか持たない人々は、できることは自ずと全く異なるものになるはずである。どのようにハーバード大学やイェール大学が、資金を運用し、そのパワーオブマネーによって、大学の影響力を最大化しているかを知る必要がある。


このシリーズでは、筆者自身のヘッジファンドや、ファイナンスビジネスの経験、留学期間中に得られた情報などをもとに、巨大投資ファンドとしてのハーバード大学について、できる限りファイナンスの専門知識を必要としない形で、ご紹介していきたいと思う。


以下、「ハーバード大学は巨大投資ファンド(2)」へ続く。

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早稲田大学に見る日本の未来(3)

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このテーマ3回目、最後の投稿は、「create something new」について。

早稲田大学のイベントでも、繰り返し、事業でも商品でも研究でも、新しいことに挑戦することの重要性を話しました。成熟社会を迎えた日本において、「新しいことへの挑戦」は特に重要です。会の中では、やや抽象的に言い過ぎたので、今回の投稿で補足したいと思います。


ハーバードでも世界銀行や、マッキンゼー、ゴールドマンサックスなど錚々たる大組織を飛び出して、自分にしかできない事業や商品開発に情熱をかける同級生を目の当たりにしてきました。彼らは毎日自分のプロジェクトを語り、日常的にパワーポイントやpreziをいじりながらプレゼンに備えている。マネタイズだけが目的ではない、少人数のハンドメイドから始めて、世界を変えるインパクトを生み出すことが目的です。

日本人がガラパゴス携帯を放り投げてiPhoneに飛びついたように、世界一のクオリティの商品やサービスを作り出せば、対象は国内市場にとどまらず、世界市場を目指すことができる大きなチャンスがある時代になっている。彼らの作品は生活スタイルを変え、歴史を変え、価値観を変えるインパクトがある。

アメリカの求心力の源泉は、アイビーリーグ、シンクタンクや研究所、シリコンバレーウォール街、ハリウッドなど「世界最先端を学ぶ」場所が多く所在していることです。一方で、世界最大のマーケットは日本、中国あるいは東南アジアなどのアジア地域に集中している。筆者の考える「海外に出て新しいことを始める」は、「欧米で学び、アジア起点に世界シェアを取る戦略」の更なる強化です。


世界一を目指す分野は、ITやバイオなどのハイテク分野が分かりやすいですが、それに限らないと思います。たとえば筆者の身近なハーバードの卒業生には、低所得者向け信用リスク管理システムに心理学を導入したEFL(Entreprener Finance Labo)を設立したBailey Klingerや、世銀を辞めて「途上国の農家向けのスマホ情報サービス」を開発しているJohn Ikedaや、「コミュニティ・オーガナイジング」の仕組みをアジアで発展させることに挑戦している鎌田さんもいます。


日本の優位性を最大限追求できると、筆者が個人的に考えている分野は、このブログでも数多く投稿してきた「ビジネスとジオポリティクス分野」です。

なぜ筆者がこの分野に強い関心を持って、人生を賭けているかといえば、非常にシンプルですが、「日本が世界一になれる可能性がある分野」であるからです。こういったチャンスは数少ないのですが、欧米人もアジア人も、金を払ってでも、行列を作ってでも、得たいものを日本の立場で提供できる可能性があります。

アジアの市場は世界最大であり、アメリカや欧州の企業にとって最も魅力のある市場です。ただし、政治経済のマクロリスクが高く、またその背景となっているアジア的文化や歴史は、欧米人の熟知する分野ではない。一方で、アジアの競合として、最も人材を抱えているのは中国ですが、政府の情報コントロールが厳しく、日本と比べると入手できる情報の量と質が大きく劣後しています。

ハーバード研究員が見たリアル・チャイナ (3) リンク参照」でご紹介した通り、ハーバード研究員というレベルでは、この仮説は検証されています。普通に考えればスルーされてしまうはずの「日本」であることが、逆にメリットになっています。

筆者の課題は、このコンセプトをどういった具体的なビジネスモデルに落として収益化するか、継続発展的なモデルとするか、を考えることです。つまり、コンサルティング事業なのか、投資アドバイザリー事業なのか、あるいはまったく異なるアプローチ、たとえばメディア事業なのか、、、この具体化に毎日頭を悩ませながら試行錯誤を繰り返しています。


日本経済が高度成長していた時代は、「欧米で学び、日本で成功する」というパターンが、金融やコンサルなど多くの分野で一般化してきたキャリアだと思います。多くの日本人が、アメリカ帰りのノウハウで日本でのマネタイズに成功しました。ただ長期的には日本の国内市場に大きい成長は見込めない以上、このパターンは先細りかも知れません。

どうすれば日本だけでなく、巨大なアジア市場で成功できるか、あるいはそれを起点に逆に欧米での競争に勝てるかを考えたいところ。その鍵は「日本だからこそ世界一になれる」、という分野を見つけて根気良く育てていくことではないかと考えています。

可能性のある分野は、ひとそれぞれいろいろな見方があると思います。専門も違えば、見えるチャンスも違う。いずれにしても一度「海外に挑戦」しないことには、インスピレーションも沸きません。仕事でも留学でも海外に出て、誰もが思いつかなかった新しい価値を生み出すこと。海外への挑戦を単なる「箔を付ける」に終わらせないよう、本当の勝負は海外を経験した後にこそ待っていると実感しています。


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早稲田大学に見る日本の未来(2)

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居並ぶ40~50人の早稲田の大学生。真剣な眼差し。依頼主K君から「おまえの生き様を語ってくれ」と言われているので、完全白紙のキャンバス状態、、、完全フリーな反面、テーマが決まっている中で原稿棒読みするよりも、遥かにハードル高く感じます。


どうしても伝えたかったこと、それは「日本が海外に挑戦する意味」です。

日本には資源がない。明治維新期には科学技術、軍事力、経済力すべてにおいて、欧米よりも遥かに劣後していた。リソースがない中で、奇跡的に豊かな国を作ってこれたこと、そしてその背景には、有名無名を問わず数多くの「海外に挑戦してきた先輩たち」がいたこと、これだけはどうしても伝えたかった。

海外は生活も不便で、ストレスも多い。でも、だからといってもしも日本から誰も海外に出たがらなかったら、いま日本はどうなっていただろうか?考えるだけでもゾッとする。

海に隔絶された日本にとって、「海外に挑戦する」のは、かっこいいからとか、すごいからやるというレベルではなく、日本が生き抜くために必要不可欠な基本動作だと思っています。そういった観点で、今まで死ぬ思いで海外に挑戦し、国を良くしてきた先輩たちに深い尊敬の念を感じています。


また海外に挑戦するならば、「英語(語学)に正面から向き合って欲しい」、あるいは「語学力がなければスタートラインにすら立てない」と伝えました。この点、厳しいコメントと受け取られた方もいたようですが、これも筆者の強く信じるところです。

以前の投稿「純粋ドメスティックが考えるグローバル人材(1) リンク参照」でも申し上げた通り、耳触りの良い言葉を排除して、リアリティに迫れば、海外での挑戦において、気合いや人間力で乗り切るには限界があります。

ビジネスレベルの語学力が最低限なければ、海外で成功体験を積むことは不可能と感じます。語学は「解脱を目指す修行僧」のようなプロセスでもあり、中途半端な精神力で体得できるものではないですが、たとえば自分自身がひとつのサンプルになりますが、純国産であっても充分ビジネスレベルに持ってくることは可能です。

筆者の英語勉強法は、「体験的TOEFL(英語)学習法 リンク参照」にまとめましたが、最適な方法論で、世にいう一流になるための「10000時間の壁」を突破すること、その苦労からは逃げないことが大切だと実感しています。



会終了後に、「自分は国内のテーマを深堀りしたいと考えていますが、それでも海外経験が必要ですか?」と質問を頂きました。あるいはK君からも冗談半分に「俺も今日の話を聞いて、語学とかやらなきゃなって思ったよ」と会の後に言われましたが、筆者の考えは日本のすべての人々がビジネスレベルの英語を使いこなすべき、というものではありません。

むしろ国内に取り組むべき課題は多く、たとえばK君のように日本の企業と、日本の大学を結びつける仕事は、これはこれで非常に重要です。そういったプロの方々にとっては、国内の状況を把握し、関係する国内の人脈を開拓することを優先すべきで、英語や海外への挑戦は優先順位が低いと思います。要は役割分担だと感じています。

冒頭の話に戻すと、誰もが海外に挑戦しなくなってしまえば、日本の発展は止まり、衰退の道をたどるとの危機感があります。

自分自身、これまでの先輩たちからのバトンを受け取り、自分なりに毎日格闘している訳ですが、このバトンを連綿と未来に繋げていかなければならないという強い使命感を感じています。その意味で、自分よりも若い世代の中からも、日本を背負って海外に挑戦してくれる大志ある人々が出てきて欲しいと思っています。(勧誘活動です、、、笑)

 

以下、「早稲田大学に見る日本の未来(3)」へ続く。

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早稲田大学に見る日本の未来(1)

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大学時代からの盟友で、現在人材コンサルタントとして、企業の採用活動や大学のキャリア教育の最前線で活躍しているK君から声を掛けられて、早稲田大学の大学生と語る機会を得ました。


K君は大学生の頃から、10数年来同じテーマを追い掛け続け、今では業界での発言力を持つプロになった熱意の塊のような人物。大学時代から一種独特のオーラを発しながら、特に後輩に対しては教祖的なカリスマ性を発揮していた。

キャラクターは大学時代から変わらないので、仕事のスタイルはかなりの確度で想像できますが、学生時代から不断の努力を通じて成長を続けており、社会人になっても丸くならず熱い語り口も健在、学生時代以上に説得力ある業界のプロになっていました。


その日のテーマは、特に設定されていた訳ではなく、K君から事前に受けていた依頼内容は「おまえの生き様を語ってくれ」というもの。学生時代からK君から何かを頼まれるときは、いつもこのスタイル。

なにしろこちらは、大学生と真剣に話す機会は10年ぶりぐらい。こちらがフリーズしていると、「大丈夫、枠は出来ているから、後は俺がフォローする」と。信頼できる人間には、ガッツリ任せるというK君の仕事のスタンスであり、こちらも、分野は別ながらも、プロとして期待に応えなければならない、という思いが沸いてきます。


40~50人ぐらいの早稲田大学の大学生を前に、ブログでも書いているようなグローバル人材(純粋ドメスティックが考えるグローバル人材(1) リンク参照)の話や、アメリカの大学事情(ハーバードの優等生達 リンク参照)の話をさせて頂きました。

本当は一番話したかったジオポリティクスや、リアルチャイナの話は、あまりにハードコアな内容になるため、大学生に話すテーマからは意図的に除外しました。どこかで機会があったら、是非お話したいテーマではありますが、、、笑


驚いたのは、いまの大学生の意欲の高さと、大学側のサポート姿勢です。筆者が大学生の頃は、社会人と触れ合うといえば、就職活動を除けば、サークルの卒業生が年に数回、OB会のために大学に戻ってきた時に飲み会でご一緒する程度、というのが一般的でした。

場も「飲み会」なので、それはそれで楽しかったことは事実ですが、真剣な会話をする雰囲気でもなく、卒業生の方々が大学生の頃にした経験や、大学生でも分かるような社会人のオモシロ話だったように記憶している。


午後7時から10時という、飲み会のゴールデンタイムに、大学生が真剣に社会人の話を聞き、居眠りする訳でもなく質問攻めにしてくる、という状況を目の当たりにして、大きくモメンタム、若い世代の雰囲気が変わっていることを実感しました。

もちろん、早稲田という非常に優秀な学生層であり、その中でも意欲的な学生が参加していたことは間違いないですが、メディアで言われる「内向き」、「草食化」とは、現在の大学生の真実の姿なのだろうか、とかなり疑問に感じました。


さて、日本の未来に向けて、どんな議論がなされたのか、、、
以下、「早稲田大学に見る日本の未来(2)」へ続く。

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リアル・チャイナとジオポリティクス(10)

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通常、国際交流活動というと、「みんなと仲良くなって平和な世界を作りましょう」とニュアンスが強い。

これは世界が理想状態にあり、性善説を前提にしたものと思います。理想の世界ならば、警察はいらないし、アメリカ軍はあんなに大量破壊兵器を持つ必要はない。アメリカや中国という大国を相手にする場合、「みんなと仲良く」なろうとすることは、必ずしも戦略的な観点で適切ではないと感じています。

日本政府はこれまで中国に対して、巨額の政府開発援助(ODA)を行ってきましたが、みんなに分配する「無差別的な友好援助」は、結局誰にとっても特別感がなく、信頼に足る強力な日本サポーターを増やす観点では効果的ではなかったことを物語っている気がしています。

ロスト・ヒストリーを取り戻せ 」の投稿でご紹介したように、中国の経済発展に対する日本の貢献を敢えてもう一度強調せざるを得ないほど、中国側がピンと来ていない現状はとても残念に感じています。もう少しメリハリをつけて、選択的に日本サポーターを増やす必要があります。


これまでエピソードを多く引用しながら、現場のニュアンスを伝えられるよう努めてきましたが、このブログをご覧頂いた方からご質問頂いた「現在の状況下で、日本企業にとっての中国ビジネスの成功要因はなにか?」に対する、筆者のシンプルな仮説は、「国際感覚があり、日本との協力関係を本音で志向する中国人を全力でサポートする」ということに尽きます。



彼らが中国国内でオピニオン・リーダーとして発言力を持てば、一般の中国国民の日本への印象も確実に変化するはず。彼らが日本との関係を通じてメリットを享受でき、また、いざという時に信念を持って日本との関係に尽力して貰えるよう、あるいは中国政府のスタンスを眺めて日和見的などっちつかずのスタンスにならないようなコミットメントを引き出せるような、最大限のサポートをしていくことが重要だと考えています。

「国際感覚があり、日本との協力関係を本音で志向する」という観点で、中国の民営企業の起業家や実業家は、最も可能性を感じる。「ハーバード研究員が見たリアル・チャイナ (8)」でご紹介した通り、中国が共産主義の国になる前にも、上海や温州を中心とした地域の実業家と日本は、中国の近代化において協力してきた歴史もあります。

「中国」と一括りにして、その是非を議論するというよりは、国内の人間模様や政治力学を見極めながら、選択的にパートナーを選ぶ、特に自由な気風で、マーケットベースのビジネスに取り組んでいる中国のニューリーダー達との関係構築が突破口になるはず。日本で言えば、ソフトバンクの孫正義社長や、楽天の三木谷会長、ローソンの新浪社長のようなイメージ。柔軟な発想でビジネスで成功を収め、そして政治的な発言力も次第に出てきている。(中国でも成功した実業家が、共産党の中で高い地位まで昇進するケースが増えている。)


こうしたネットワークが、日本にとってはジオポリティクス情勢判断のための情報ソースの機能を果たし、有事やトラブル発生の際に資産保全やダメージコントロールしていく際に現地で信頼できる人脈となっていくと考えています。


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リアル・チャイナとジオポリティクス(9)

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筆者が体験したもう一つの中国の側面、「人民日報や中央電視台を信頼する一般国民」もご紹介したい。人民日報(新聞社)や中央電視台(テレビ局)とは、日本でいえばNHKをより国営放送にしたような新聞とテレビである。厳しい政府の検閲の結果、流されている内容は、全て中国政府の方針に準拠しているといって過言ではない。



今年の夏のある日、北京から上海に新幹線で戻る時のエピソード。現在、中国の新幹線は猛烈な発展を遂げており、北京と上海の間も4時間台で新幹線移動が可能となっている。飛行機と異なり、待合時間がなく、一度乗車してしまえば、ずっと寝ていたり、作業が続けられるので、筆者は新幹線を好んで使っている。

上海駅で下車し、タクシーを拾う。筆者は現地調査の意味も込めて、最近は必ず助手席に座り、助手席から運転しているドライバーと世間話をするようにしている。その日も、60歳前後の運転手のタクシーの助手席に座って発進した。


しばらく取り止めのない話題を話した後に、筆者の中国語の日本語訛りに気が付いた運転手が「日本人か?」と聞いてきた。「そうです、日本人です」と答える筆者。

すると途端に「日本の電子製品はクオリティが素晴らしい」と、急に日本の工業製品を褒めちぎり始めた。電卓も、デジタルカメラも、テレビも、とにかく日本人は頭が良くて、手先も器用だから、中国人が作れない素晴らしい製品を作ると感心していると言っていた。

「ありがとう。私は電子製品関係の仕事をしたことないですが、日本のビジネスマンですから、日本の製品を誉めて貰えて嬉しいです」と答えておいた。それと同時に、なんとなく「褒められ過ぎている」ことに嫌な予感もしてきた。


この嫌な予感は的中する。ひとしきり日本製品を褒めた運転手は、「製品は良い、でも日本の指導者は不良品だ」と切り出し始めた。「日本人は一般人はとても賢いのに、なぜ指導者があんなにもバカなのか?」と質問してきた。


「なぜ、そう思ったのですか?」と聞く筆者。



運転手は答える。「日本の政治家は、中国との戦争が悪くなかったと言っているらしいし、地方首長(知事)の中には公然と正義の戦争だったという人もいるじゃないか。あの戦争を正当化することだけは、絶対に許せない。」

運転手は続ける。「そもそも日本の一般国民だって、悪い指導者の犠牲者だろう?あんなにたくさん死んで、アメリカに原爆まで落とされて、それでもなぜそんなバカな指導者を選ぶのかが分からない。」

筆者は尋ねた。「あなたは日本の指導者の言動をなにで知ったのですか?」運転手はさも当然のように「新聞でもテレビでもどこでもそうやって言っている、みんな知っているよ」、筆者「新聞とは人民日報のことで、テレビとは中央電視台のことですか?」と聞くと、運転手は「もちろんそうだ、みんな熱心に見ているよ」と答えた。


そう、運転手が奇しくも語ってくれた日本の動向は、全て「人民日報や中央電視台」からのコピー&ペーストと言っても良い内容であった。ちなみに日本は、「指導者=悪、国民=善」という整理は、日中国交回復の際に、周恩来総理が中国国民に対して行った歴史の整理であり、これも中国政府の発表を忠実にオウム返ししていると言える。

多くの一般の中国人は、熱心に新聞やテレビを見て勉強した内容なのだから、それに基づいて「自分の意見」と思っている。一方で、国営メディアに対する批判は皆無であり、その報道の信憑性があるのか、という点にはあまり注意が及んでいない。

この結果、人民日報や中央電視台が、日本に批判的な内容を報道すれば、急激に日本へのイメージが悪化したり、逆に「協調ムード」を報道すれば、「まあ、このご時世、ケンカばかりしていても大人気ないな、、、」と、急激に逆方向に国民感情の振り子が振れる傾向がある。


筆者の感じる「中国との付き合い方」のもう一つの重要な要素は、一般の国民感情を過度に気にし過ぎても意味がないと感じている点。

彼らはフォロワーであって、オピニオン・リーダーにはなり得ない。熱く語っている内容に独自性がある訳でもなく、またさまざまな角度から情報を比較した結果の意見という訳でもない。強力なリーダーが正反対のことを言い出せば、「そうなんですよ。私もそう思っていました。」と言い出すだろうと思う。

肝心なことは、誰がオピニオン・リーダーであるか、という点ではないかと思う。「街角で一般の中国人100人に聞きました、日本が好きですか?」的な調査に意義が薄いと感じるのはこの観点からである。むしろ実施は難しいかも知れないが、中国のオピニオン・リーダー100人の本音を聞きました、という情報があれば、中長期的な両国の関係を見通す上で極めて重要な内容だと思う。


ソーシャルメディアの中国本土での発達は、人民日報や中央電視台の独占的な立場を突き崩し始めている。成功した実業家を初め、多くの非政府関係者が独自の視点や、海外経験に基づく意見表明を行い始めている。彼らが日本についてどう考えているのか、それ次第では比較的近い将来に、筆者と語り合ったタクシー運転手の意見も大きく変化している可能性がある。



以下、「リアル・チャイナとジオポリティクス(10)」へ続く。


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